籐椅子のある静物 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの総合的キュビズム時代(※1)の代表作です。
本作は絵画史上初のコラージュ作品と言われています。
それでは具体的に観て行きましょう。
真ん中にワイングラスが描かれています。琥珀色のワインが入っているようです。
左上のJOUという文字は、JOURNALの略字で新聞の事です。後ろにある重なり合ったような四角が、乱雑に畳まれた新聞です。そして、新聞の上にパイプあり、吸い口であるパイプの部分が手前に見えます。
右上には、輪切りになったレモンが見えます。その下には、ホタテ貝が描かれています。レモンを絞ってホタテの上にかけているのでしょう。
そして、人が座っている下方部分には、籐椅子の一部が見えます。これは絵の具で描かれたものではなく、籐椅子のネットの部分が印刷された紙がそのまま絵画の中に張っています。これが所謂コラージュという手法です。
美術史上初めて、絵の具以外のものを絵画の中に入り込んだのは、ピカソでした。
パリのピカソ美術館所蔵。
※1:総合的キュビスムの時代(1912年 – 1921年):総合的キュビズムの時代の絵画は、単調な色彩の分析的キュビズムの絵画と異なり、装飾的で色彩豊かになります。また、壁紙や新聞紙など既成の素材を画面に貼り付ける「パピエ・コレ」という技法が用いられるようになります。
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戦争と平和 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの70歳の時の作品です。
「戦争」と「平和」という二つの対になる作品と「世界の4つの部分」の3枚で1セットの作品です。
フランスのヴァロリスにある、ピカソ美術館内の礼拝堂の壁面とアーチ状に曲面を描く天井の全面を使用して描かれています。向かって左側が「戦争」、右側が「平和」、中央(奥)が「世界の4つの部分」です。
戦争は黒や灰色が基調で、暗い印象を受けます。絵の中央には、黒い馬に引かれた戦車が描かれ、戦車を駆る人物は赤い血糊の付いた剣を握り締めています。
黒い馬は、斧や槍、剣を振るう黒い人影を背景に、燃え盛る書物を踏みにじっています。絵の左側には、平和の象徴である白いハトが彫られた盾を持つ人物が描かれ、戦車の行く手に立ちはだかっています。
平和は白を基調としています。絵の中央には、白いペガサスが描かれ、戦争の黒い馬とは対照的です。光り輝く太陽のもとで、子を育て、踊り、生を謳歌する人々の姿が描かれています。
フランス、ヴァロリスのピカソ美術館所蔵。

科学と慈愛 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの15歳の時の作品です。
本作では医師が科学を尼僧が慈愛を表しています。手前の医師はもはや手の施しようが無く、患者の脈を診ることしかできない一方、尼僧は危篤の患者を包み込み、安らぎを与えています。
床に伏している病人を中心に向けられるその他の人物の視点が、鑑賞者の視点を病人へ導いて行きます。巧妙な筆使いによる素材感の表現、デッサンの正確さなど、15歳の作品とは思えない出来です。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
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ドラ・マールの肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
本作は、ゲルニカや泣く女が制作された年と同じ1937年に描かれたものです。徳島県立近代美術館にあるので、是非、実物を観てみて下さい。
それでは具体的に観て行きましょう。
ピカソの愛人、ドラ・マールを描いた作品です。同年に制作された、ゲルニカや泣く女と比較すると、ドラ・マールの肖像には悲壮感はなく、明るい雰囲気が感じ取られます。また、赤く塗られた長い爪やはっきりした二重の瞳にはマールの美しさに加え、意志の強さや知性など、マールの内面も捉えて表現されています。
本作が描かれたのは、もうひとりの愛人、マリー・テレーズ・ウォルターが娘のマヤを出産したばかりの頃です。
正妻のオルガもいるのに、芸術家には恋愛にご法度は無いのでしょうかねぇ。
徳島県立近代美術館所蔵。
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人形を抱くマヤ パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのキュビスム表現主義時代(※1)の作品です。
人形は実物に近い表情を見せている反面、マヤの顔は現実離れをした構成で表現され、その共存が魅力的な作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作はピカソの娘マヤを描いた作品です。
人形も娘も頭が体に比べ異常に大きく描かれています。人形の眼はマヤの洋服に、またマヤの眼は人形の着るセーラー服と調和しています。茶色の床、白い壁を背景にマヤが配置された三角形の構図、これにより輪郭が強調されています。
娘マヤの顔は現実離れをした構成で表現されていますが、全体からは愛らしさが滲み出ています。ピカソの娘マヤへの愛情が込められた作品です。
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム作品を多く残した時代
パリのピカソ美術館所蔵。
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ボールに乗った女道化師 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの青の時代と薔薇色の時代の中間に位置する作品です。
青の時代には青一色であった画面に、灰色や、そして次第に暖かい赤色が加えられていきます。主題も憂鬱感や社会的疎外感から、次第に薔薇色の時代の陽気さや楽観主義へと変わっていきます。
それでは具体的に観て行きましょう。
この作品のピンク色の色調は「薔薇色の時代」のものです。但し少女のコスチュームは薄ら寒い灰色で、彼女のしなやかな体はやや異彩を放っています。柔軟な彼女の体、丸みを帯びたポーズ、弾むようなボールの形は、角ばった筋肉質で四角い箱の上にどっしりと構える巨大な男性と対極をなしています。
繊細な乳白色、ピンクそしてブルーの色調で満ちた画面、青青の時代とは異なった新たな空気の感覚、そして対象物間の空間の美、青の時代から薔薇色の時代への過渡期の作品でありながら、本作は薔薇色の時代の代表作の一つと言われています。
モスクワのプーシキン美術館所蔵。
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画家の母の肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソが15歳の時の作品です。
ピカソの母、マリア・ピカソ・ロペスを描いたパステル画です。
母マリアは、強い性格を持った女性で、活力に満ち、浅黒く、小さく、そして勉強家だったそうです。ピカソの多くの性質は、母マリアから受け継いだものと言われます。
それでは具体的に観て行きましょう。
前方に軽く頭を下げ、目を閉じ、半分眠ったように休息しているマリア夫人の横顔のその瞬間が的確に捕らまえられています。女の横顔の陰影と、軽やかな白線によって浮き出された白いブラウスの布の織り地に醸し出された温和な雰囲気が良く表れています。
15歳にして、このような絵画を描いたピカソは、やはり天才です。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
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画家の父の肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソが15歳の時の作品です。
ピカソの父、ホセ・ルイス・イ・ブラスコを描いた水彩画です。
父ホセはマラガの美術学校の教師、そして画家として働いていました。しかし、中流階級としての生活を望めるほど豊かではありませんでした。
若かりしピカソは、比較的豊かな親戚に、家族の生活を頼らざるをえない父の不甲斐なさを、恥ずかしく思っていたようです。
本作での父ホセの顔は優しく暖かである一方で、彼は何かにすっかり打ちのめされたかのように見えます。
色は青が基調となっていますが、ピカソの青青の時代(※1)の作品とは違う「暖かさと生活の苦しさ」が伝わってきます。
15歳にして、このような絵画を描いたピカソは、やはり天才です。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
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道化師に扮したパウロ パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの新古典主義時代(※1)の作品です。
本作はピカソの長男パウロを描いた作品です。ピカソは長男を数多く描き、その巧みな構成力、色彩、空間采配で高い評価を受けていますが、本作はその中の代表作と言われます。
それでは具体的に観て行きましょう。
長男パウロが愛らしく描かれていますが、ピカソは故意に、キャンバスの大部分をスケッチの状態のままで残しています。広い色塗りされた背景にあえてほんの数本の線や筆遣いを残すことで調和を保っています。これは従来の考えを逆転させるテクニックで、作品が現実の模倣ではなく、それに何か付け加えたものであることを示しています。
「現実は絵画を支配しない、絵画芸術はそれ自体のルールと在り様があるのだ」と主張しているのです。
※1:新古典主義の時代(1917年 – 1925年):ルネサンスやバロックの名品に影響を受け、どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻などが特徴の作品を多く描いた時代。
パリのピカソ美術館所蔵。
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