ラ・グルヌイエール クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1896年頃)です。
本作は、パリ近くブージヴァル近郊セーヌ川の河畔にある新興行楽地であった水浴場、ラ・グルヌイエールをモデルにしています。
それでは具体的に観て行きましょう。
水面に映える桟橋やカフェ、そして、反射して煌めく光が効果的に描き出されています。当時、モネとルノワールはラ・グルヌイエールで画架を並べて絵画を描きながら、水面に反射する陽光の効果と表現の研究に没頭していました。光によって変化する色彩を、画面上に細かい筆触を置くことによって視覚的に混合させる「筆触分割」と呼ばれる表現手法をラ・グルヌイエールの製作によって生み出しました。
またモネとルノワールは、日本の広重の版画にも影響を受けています。
モネとルノワールのラ・グルヌイエールでの経験は、その後に開花する印象派のスタイルの確立に繋がって行くのでした。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
<MAP>

印象・日の出 クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1869年頃)です。
本作はモネが手がけた最も有名な作品のひとつであると共に、印象派の名前の由来となる美術史上、重要な意味を持つ作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
フランス北西部の都市ル・アーヴルの港の風景をやわらかい筆の動きで描いた作品です。モネの最も特徴的な手法である筆触分割(※1)を用いて描かれています。
伝統的な風景画は水平線をキャンバスの下部に引き、空を大きく描くのに対して、本作は水平線をあえて上部に置くことで光が反映する水面を大きくとらえています。これにより細部を簡略化し、全体のバランスを重視する表現が効果的に表れています。波模様はすばやい厚塗りの筆さばきにより簡略に描き上げられ、青い時を朝陽が照らす光景は色彩も限定されています。
当時の批評家ルイ・ルロワは「印象?たしかに私もそう感じる。しかしこの絵には印象しかない。まだ描きかけの海景画(壁紙)の方がマシだ。」と本作を嘲笑する記事を諷刺新聞に寄稿しました。
この記事によって、反伝統のバティニョール派が開催した最初の独立展覧会に出典した画家ら(モネ、ルノワール、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロ、ギヨマン、ベルト・モリゾ、セザンヌ、シスレーなど)は印象派と呼ばれるようになりました。
※1:筆触分割:色彩分割とも呼ばれ、細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法
マルモッタン・モネ美術館(パリ)所蔵
<MAP>

サンタドレスのテラス クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1867年頃)です。
モネは1867年の夏をフランスのル・アーブル近くのイギリス海峡のリゾートで過ごしました。本作は、その時に描いた作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
前景ではモネの父親アドルフと伯母ソフィー・ルカドルがテラスの椅子に座りながら海を眺めています。そして、その奥ではモネの従姉妹となるジャンヌ=マルグリット・ルカドルが親族と談笑しています。明瞭で輝くような陽光に照らされるテラスで寛ぐモネ一族の姿は、当時のモネの逼迫した経済状況を伺い知ることはできないほど、幸福的情景に溢れています。
明確に区別された近景の庭と遠景の海景を組み合わせた構図が印象的です。強く明瞭な陽光によって浮かび上がる登場人物や庭の花々、風に靡く二本の旗、庭の前に広がる海景と港を行き交う数多くの船舶、青々とした高い空などの表現は写実的です。また、色彩描写においても、本作には心象や印象に基づいた色彩ではなく、より現実に近い色彩が用いられています。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
<MAP>

かささぎ クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1869年頃)です。
本作品は、モネによって描かれた約140の雪景色の作品の一つです。
それでは具体的に観て行きましょう。
枝で作られた戸に止まっている一羽の黒いかささぎと、太陽の光の輝きを受けて青い影を創り出している新雪が描かれています。
白色を多用した雪の風景は、陽光と影の関係性やそれらが織り成す効果を狙って描かれています。力強い大ぶりな筆触によって描写される青を基調とした雪の複雑で繊細な色彩表現などに、モネの野心的な取り組みが現れています。
枝で作られた戸に止まる、かささぎの黒い羽は、白色や中間色が支配する本作の中で際立った存在感を示しており、絶妙なアクセントとして画面を引き締めています。
平行軸を強調する画面中央の雪の積もる柵、それが落す青紫色の影、空の雲、画面右手奥の戸も窓もない家、それらとは対称的な垂直軸を強調するかささぎの止まる戸、その奥の木々など簡素ながら絵画的奥行きの深い画面構成や、画面右側に配される木々が広げる枝の曲線的な描写も本作の大きな見所です。
オルセー美術館所蔵
<MAP>

王女の庭園 クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1867年頃)です。
本作は現ルーブル美術館2階のバルコニーからの眺望を描いた作品で、1860年代のモネを代表する作品のひとつです。
それでは具体的に観て行きましょう。
画面下部にはルーブル宮(現ルーブル美術館)の庭園として知られる、王女の庭園が描かれており、緑豊かな芝生が画面の中で色鮮やかに栄えています。また王女の庭園の周囲には近代化されたパリの街中を行き交う多くの人々や、都市景観に馴染む美しい並木が描かれており、本作からは写真的な印象すら感じられます。
セーヌ川の奥の風景として画面中央には、カルチェ・ラタンの丘に建てられた新古典主義建築における初期の傑作として名高いパンテオンの円屋根が見えており、その左側にゴシック建築の建築物であるノートルダム大聖堂が、右側にはヴァル=ド=グラス聖堂がそびえています。さらにその上の曇りがかった空が空間的な開放感を与えています。
オバーリン大学アレン記念美術館(オハイオ州)所蔵
<MAP>

揺りかごの中のジャン・モネ クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1867年頃)です。
モネとカミーユ・ドンシューとの間に生まれた息子ジャンを描いた、歓びに満ちた作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作からは、印象派の先駆的存在エドゥアール・マネの影響が見られます。特に高い視点からの平面的な構成要素の描写や、花柄のカーテンや乳母の帽子などに見られる大胆な筆触、そして幼子に付き添う乳母の身体の途中で切られた構図展開などに影響が色濃く表れています。また、本作の大胆な構図には日本の浮世絵からの影響も指摘されています。
ワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵
<MAP>

緑衣の女性 クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1866年頃)です。
1870年にモネの妻となった女性、カミーユ・ドンシューの肖像画です。本作は、サロン出品作として、4日間という短期間で描かれたと言われています。
それでは具体的に観て行きましょう。
カミーユは、黒の縞模様の入った上質なエメラルドグリーンのドレスに、毛皮で縁取られた上着を着ています。その頭髪を気にし後ろを振り向く姿勢は、観る者に衣服を見せるかのように背面を中心として構成されています。
カーテンのシンプルな暗面が、エメラルドグリーンのドレスを一層際立たせています。また、画面左下で断ち切られたドレスと、ドレスの折り目によって生じる皺、まとめ上げた髪を気にするようにわずかに傾けた頭が、流れるような自然な仕草を演出しています。
ブレーメン美術館所蔵
<MAP>

草上の昼食 クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの初期の代表作のひとつ(1865年頃)です。本作はエドゥアール・マネが描いた同名の「草上の昼食」(1863年)にインスピレーションを受けて描かれた作品で、「印象派の出発点であり、歴史的にも、またモネの個人史においても転換点となる重要な作品」と言われます。

               エドゥアール・マネの「草上の昼食」

それでは具体的に観て行きましょう。
本作の舞台は、パリから南東へ60キロメートルほど行ったところにあるシャイイ=アン=ビエールです。若い紳士と淑女たちが森の中で昼食を楽しんでいます。ローストチキンなどの贅沢な料理がワインとともに白いテーブルクロスの上に並べられています。
マネの「草上の昼食」は、ラファエロやティツィアーノを彷彿とさせる神話的(古典的)な主題を素地に、裸の女性と現代の服を着た男性がピクニックを楽しむ光景を描くことで、「現代性」を表現しようとしました。これに対して、モネの「草上の昼食」は、戸外の光の風景の中に、当時流行っていた余暇の過ごし方を描くことで、「現代性」を表現しようとしたのでした。
本作は完成後、モネの経済的な困窮から、家主に借金の担保として引き取られてしまいました。モネが本作を取り戻したときには、湿気によって画面が激しく傷んでいたため、左断片と中央断片を残し、後は捨ててしまったそうです。
オルセー美術館が所蔵しているのは、この残された左断片と中央断片です。

モネの「草上の昼食」には習作(※1)がプーシキン美術館(モスクワ)に残されており、作品全体像を垣間見ることができます。

草上の昼食(習作)プーシキン美術館(モスクワ)

※1:習作:下絵として描かれたもの。
オルセー美術館所蔵
<MAP>

Copyrighted Image