草上の昼食 クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの初期の代表作のひとつ(1865年頃)です。本作はエドゥアール・マネが描いた同名の「草上の昼食」(1863年)にインスピレーションを受けて描かれた作品で、「印象派の出発点であり、歴史的にも、またモネの個人史においても転換点となる重要な作品」と言われます。

               エドゥアール・マネの「草上の昼食」

それでは具体的に観て行きましょう。
本作の舞台は、パリから南東へ60キロメートルほど行ったところにあるシャイイ=アン=ビエールです。若い紳士と淑女たちが森の中で昼食を楽しんでいます。ローストチキンなどの贅沢な料理がワインとともに白いテーブルクロスの上に並べられています。
マネの「草上の昼食」は、ラファエロやティツィアーノを彷彿とさせる神話的(古典的)な主題を素地に、裸の女性と現代の服を着た男性がピクニックを楽しむ光景を描くことで、「現代性」を表現しようとしました。これに対して、モネの「草上の昼食」は、戸外の光の風景の中に、当時流行っていた余暇の過ごし方を描くことで、「現代性」を表現しようとしたのでした。
本作は完成後、モネの経済的な困窮から、家主に借金の担保として引き取られてしまいました。モネが本作を取り戻したときには、湿気によって画面が激しく傷んでいたため、左断片と中央断片を残し、後は捨ててしまったそうです。
オルセー美術館が所蔵しているのは、この残された左断片と中央断片です。

モネの「草上の昼食」には習作(※1)がプーシキン美術館(モスクワ)に残されており、作品全体像を垣間見ることができます。

草上の昼食(習作)プーシキン美術館(モスクワ)

※1:習作:下絵として描かれたもの。
オルセー美術館所蔵
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アハ・オエ・フェイイ(おや、妬いてるの?) ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1892年)です。
ゴーギャンがポリネシア滞在中に描いた作品です。ゴーギャンは本作をとても気に入っており、友人への手紙の中で「最近、ビーチで二人の女性を描いた素晴らしいヌード画を作ったんだ。今までで最高の作品だと思う」と書いています。
それでは具体的に観て行きましょう。
この作品には二人の女性が海岸沿いの砂場で休憩している光景が描かれています。ピンク色の砂場の左側にある海は様々な色が塗られており、ゴーギャンは海上にある太陽光の反射や輝きを灰色、オレンジ、黄土色、そして黒のパッチ達によって表現しました。
二人の女性の内一人は砂場に座っており、もう一人は横たわる姿勢を取っており昨日の愛と明日の愛について話しています。そして、ある発言が彼女たちに不協和音を引き起こします。「おや?妬いているの?」。絵画の左下には、タヒチ語でこの言葉が記されています。
また、女性たちを同時に影の下に隠すことによって、図上にコントラストを作る事に成功しています。彼女らの体の約半分は濃い色で描かれており、もう半分は比較的に薄く透明的な色で塗られています。これは反自然主義の観点で現実を捉えた結果で、本作に描かれている女性たちの美しさは本当のものではなく、ある一種の精神状態なのです。
ゴーギャンは色を介在することによって、観るものが絵画を主観的に感じ取る事ができるように描きました。ゴーギャンは、ポリネシアで観た風景を絵画で再現し、ポリネシアの状況を伝えようとしたのでした。
モスクワのプーシキン美術館所蔵。
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アルルの夜のカフェにて(ジヌー夫人) ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1888年)です。
ゴーギャンがアルル滞在期に描いた絵画の代表作品の一つで、ファン・ゴッホの二つの作品「アルルの女(本を持つジヌー夫人)」と「夜のカフェ」からの引用により作成されています。
それでは具体的に観て行きましょう。
手前のモデルは、カフェ・ド・ラ・ガールの主人の妻マリー・ジヌーです。
妻マリー・ジヌーの姿はファン・ゴッホの「アルルの女(本を持つジヌー夫人)」を、本場面の舞台となるカフェは「夜のカフェ」を引用しています。

画面右側に配されるジヌー夫人の姿は、薄く柔らかい笑みを浮かべながら、やや気だるそうにテーブルへ肘を突きながら座っています。その背後には一台のビリヤード台が配され、画面奥のカフェに集う客や娼婦らとの関係性を保っています。画面左側からは青白い煙草の煙がたなびき、夜のカフェの独特の雰囲気を強調する効果があります。
ゴッホの作品ではゴッホ自身の孤独な感情や心理を対象に重ね表現されていますが、本作からは感じられず、むしろ対象と一定の距離感を保つことで、絵画としての調和と均衡を保っています。
本作から、ゴッホが感情的な人間で絵画に対しても同様のアプローチを行っていたのに対し、ゴーギャンが基本的に客観的なアプローチを行うという根本的な違いが見て取れます。
モスクワのプーシキン美術館所蔵
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マルディ=グラ ポール・セザンヌ

フランスのポスト印象派の画家、ポール・セザンヌの作品です。
セザンヌの息子ポールと、友人ルイ・ギヨームをモデルに、アルルカン(イタリアの即興喜劇コメディア・デラルテ中のキャラクター)とピエロを描いた作品です。
「マルディ・グラ」とはフランス語で「太った火曜日」という意味で、キリスト教における「復活祭」の前にある「四旬節」(40日間肉を一切食べない期間)が水曜日から始まるので、その直前の火曜日は食いだめをして一番太った状態とのことを指します。
それでは具体的に観て行きましょう。
すらりとした肉体のアルルカンがセザンヌの息子ポールで、ピエロが友人ルイ・ギヨームです。
ピエロのゆったりとした白い上着とアルルカンのぴったりとしたアーガイル柄の服が好対照をなしています。
そして、特質すべきは、画面最上部中央から八の字に広がるカーテンと登場人物の構成。更にピエロの衣服の皺で強調される直線が画面全体に安定感を与えています。
これらはセザンヌの様式的・表現的・描写的特徴で、後世の画家に多くの影響を与えました。
モスクワのプーシキン美術館所蔵。
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ボールに乗った女道化師 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの青の時代と薔薇色の時代の中間に位置する作品です。
青の時代には青一色であった画面に、灰色や、そして次第に暖かい赤色が加えられていきます。主題も憂鬱感や社会的疎外感から、次第に薔薇色の時代の陽気さや楽観主義へと変わっていきます。
それでは具体的に観て行きましょう。
この作品のピンク色の色調は「薔薇色の時代」のものです。但し少女のコスチュームは薄ら寒い灰色で、彼女のしなやかな体はやや異彩を放っています。柔軟な彼女の体、丸みを帯びたポーズ、弾むようなボールの形は、角ばった筋肉質で四角い箱の上にどっしりと構える巨大な男性と対極をなしています。
繊細な乳白色、ピンクそしてブルーの色調で満ちた画面、青青の時代とは異なった新たな空気の感覚、そして対象物間の空間の美、青の時代から薔薇色の時代への過渡期の作品でありながら、本作は薔薇色の時代の代表作の一つと言われています。
モスクワのプーシキン美術館所蔵。
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アンブロワーズ・ヴォラールの肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの分析的キュビスムの時代(※1)の作品です。
本作品のモデルはフランスの美術商、アンブロワーズ・ヴォラールです。ヴォラールは、ピカソを含む当時無名の画家に対して物質的・精神的な援助をしました。
それでは具体的に観て行きましょう。
画面を切り込むような線が何本もあり、それらが切り子のような面がランダムに並べられています。ヴォラールは、厳しい表情で描かれていますが、光を微妙に当てることにより、平坦にリズム感を加え、画面の中から顔が浮かび上がって来るように工夫されています。
人や物を平面に細分化、解体し、画面上で組み合わせたり重ねたりすることで、遠近法で表される空間とは異なった空間を表現しています。
※1:分析的キュビスムの時代(1908年 – 1912年):プロトキュビスムの時代(1908年 – 1909年)から更に分析が進み、対象が徹底的に分解され、何が描かれているのか識別することが困難なところにまで進んでいきました。
モスクワのブーキシン美術館所蔵。
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刑務所の中庭 ファン・ゴッホ

オランダのポスト印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホの作品です。
本作は、ゴッホが精神病院「サン・ポール」入院時に描かれたものです。
地面のブルーから上に向かって徐々に黄色に変化しているのは、まさにゴッホの世界です。
それでは具体的に観て行きましょう。
高い壁に囲まれた刑務所の中庭で、33人の囚人が整然と円を描くような歩行運動を行っています。囚人達の表情は全く覇気がなく希望を感じられず、まるで出口の見えない迷路を彷徨っているかのようです。その中で唯一、一番手前で歩いている金髪の男だけが本作品を観る者へ僅かに視線を向けており、入院中のゴッホの自由への渇望が表れています。
さらにゴッホの精神状態を反映させたかのような刑務所の高い塀へ、眩いほどの明瞭な光が最も強く当てられている点や、判り難いですが画面上部やや左側の二匹の白い蝶の存在から、ゴッホの希望を失っていないことが伺えます。
モスクワのプーシキン美術館所蔵。
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