科学と慈愛 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの15歳の時の作品です。
本作では医師が科学を尼僧が慈愛を表しています。手前の医師はもはや手の施しようが無く、患者の脈を診ることしかできない一方、尼僧は危篤の患者を包み込み、安らぎを与えています。
床に伏している病人を中心に向けられるその他の人物の視点が、鑑賞者の視点を病人へ導いて行きます。巧妙な筆使いによる素材感の表現、デッサンの正確さなど、15歳の作品とは思えない出来です。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
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画家の母の肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソが15歳の時の作品です。
ピカソの母、マリア・ピカソ・ロペスを描いたパステル画です。
母マリアは、強い性格を持った女性で、活力に満ち、浅黒く、小さく、そして勉強家だったそうです。ピカソの多くの性質は、母マリアから受け継いだものと言われます。
それでは具体的に観て行きましょう。
前方に軽く頭を下げ、目を閉じ、半分眠ったように休息しているマリア夫人の横顔のその瞬間が的確に捕らまえられています。女の横顔の陰影と、軽やかな白線によって浮き出された白いブラウスの布の織り地に醸し出された温和な雰囲気が良く表れています。
15歳にして、このような絵画を描いたピカソは、やはり天才です。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
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画家の父の肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソが15歳の時の作品です。
ピカソの父、ホセ・ルイス・イ・ブラスコを描いた水彩画です。
父ホセはマラガの美術学校の教師、そして画家として働いていました。しかし、中流階級としての生活を望めるほど豊かではありませんでした。
若かりしピカソは、比較的豊かな親戚に、家族の生活を頼らざるをえない父の不甲斐なさを、恥ずかしく思っていたようです。
本作での父ホセの顔は優しく暖かである一方で、彼は何かにすっかり打ちのめされたかのように見えます。
色は青が基調となっていますが、ピカソの青青の時代(※1)の作品とは違う「暖かさと生活の苦しさ」が伝わってきます。
15歳にして、このような絵画を描いたピカソは、やはり天才です。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
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初聖体拝領 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソが14歳の時に描いた作品です。
幼い少女が祭壇の前にひざまずき、カトリック教徒として初聖体拝領を受けているシーンを、少女から大人の女性への変容として描いています。少女の真っ白なセレモニードレスと、祭壇の白い布と全体を照らしている、ろうそくの光とをリンクさせ、この場面を劇的に表現しています。
14歳にして、このような絵を描いたピカソは、やはり天才ですね!
ピカソは後に、このように語っています。
「私は15歳にて既にベラスケスのように描くことができた。そして子供のような絵を描くまでに80年もかかったのだ。」
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
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ラス・メニーナス パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのキュビスム表現主義の時代(※1)の作品です。
本作は世界三大絵画のひとつと言われる、ベラスケスのラス・メニーナスを題材にして作成した、全58点の内の1点です。
因みに、世界三大絵画は、ラス・メニーナス、夜警、モナ・リザ、オルガス伯の埋葬の4点の内、3点を選んで世界三大絵画と言われることが多いです。
そして、夜警、モナ・リザ、オルガス伯の埋葬は、人により世界三大絵画から外されることがありますが、ラス・メニーナスは常に入っています。
そのベラスケスのラス・メニーナスの作品が下記です。
<ディエーゴ・ベラスケスのラス・メニーナス>

一方、ピカソのラス・メニーナスは、ベラスケスのラス・メニーナスに比べ、白黒のみの色使いで構成され、色彩の明暗にて光度を表現しています。
ピカソは「ベラスケスの作品を忘れて、人物の位置、光の表現方法を変えながら独自の画風で描く。そうすることで、自分自身の作品になる。」と話したと言われます。
バルセロナのピカソ美術館所蔵
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム作品を多く残した時代
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