ルアンパバーンのワット・マイ。

正式名称は、ワットマイスワンナプームアハーム。18世紀末に建立。5層に重なる屋根をもつ、典型的なルアンパバーン様式のお寺です。本堂には、ラーマーヤナの物語を描いた黄金の浮き彫りがあります。(写真が無くてスミマセン)
ラーマーヤナ物語とは
英雄ラーマが猿の勇士ハヌマンらと協力して魔王ラーバナと戦い、誘拐された妻シータを取り戻す物語。
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世界遺産、ハノイのタンロン遺跡。

タンロン(昇龍)はハノイの旧称です。1010年から1804年まで、ベトナム諸王朝がタンロン遺跡の場所に都を置いていたため、各時代の遺跡を見ることができます。
大学卒業の記念撮影をしていました(真ん中)。
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ダンブッラ黄金寺院の入口

スリランカのダンブッラ黄金寺院の入口です。
ダンブッラ黄金寺院は、ダンブッラロックと言われる大きな岩の上に建っています。 左上写真の階段を登った頂上にダンブッラ黄金寺院の入口(右上)があります。下の二枚は頂上で撮った写真です。
ダンブッラ黄金寺院は世界遺産に登録されています。

ダンブッラ黄金寺院の外観。ダンブッラ ロックをくり貫いて寺院が建てられています。
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ルアンパバーンの王宮博物館。

王宮博物館(上2枚)は、フランス統治時代の20世紀初めに当時のシーサワンウォン王とその一族のために建てられた宮殿。
1975年に王制が崩壊し、その後は博物館として利用されるようになりました。館内には、王室で使用されていた調度品や家具、日用品、外国からの贈答品などが展示されていました。
また、2006年にパバーン仏(右下)を祀る黄金のお堂「ホー・パバーン」(その他3枚)が完成しました。
パバーン仏(右下)とは、14世紀、ラーンサーン王朝の初代ファー・グム王の時代にクメール王朝(現カンボジア)から寄贈された純金製の仏像で、1560年にセーターティラート王がヴェンチャンに遷都した際にもパバーン仏は町に残され、その時に町の名前もシェントーンからルアンパバーンと改称されました。パバーン仏は1世紀頃にスリランカで造られたものと伝えられており、ラオスでは最も神聖な仏像とされています。1707年にパバーン仏はヴェンチャンに移された後、18~19世紀かけてシャム(現タイ)との間で略奪、返還を繰り返されますが、1886年にルアンパバーンに返還されました。
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仏教の聖地キャンディの佛歯寺

仏教の聖地で世界遺産のキャンディにある、ダラダー・マーリガーワ寺院。通称「佛歯寺」と呼ばれ、釈迦の犬歯が祀られています。
「大涅槃経」によれば、釈迦の死後、歯は遺骨と同様にインド各地に分割されました。年代記の『チューラワンサ』では、スリランカにはスリー・メーガワンナ王(301-328)の時代にカリンガ国(東インドのオリッサ)からブラーマンの女性が右の犬歯を持ってきたとされ、王権の権威を保証する証となりました。
王都が移動するたびごとに仏歯も移動して、現在はこの 佛歯寺 に納められています。仏歯は仏陀の聖遺物の仏舎利として崇拝されると共に、強い力を持つものとして祀られてきました。
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マラッカのマレーシア最古の建物たち。

■青雲亭(上3枚)
マレーシア最古の中国仏教寺院。
明の永楽帝の命を受け大遠征を指揮した海軍大将「鄭和」の功績をたたえ1646年に建立されました。
■カンポンクリンモスク(真ん中3枚)
マレーシア最古のモスク。1748年に建築されたと言われています。堂内の壁にはイギリス製とポルトガル製のタイルが使用されているそうです。
■スリポヤタヴィナヤガールムーティ寺院(下)
マレーシアで最古のヒンドゥ寺院。
ほんの100mの距離内に3つの建物があります。
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マラッカのオランウータンハウス他。

■オランウータンハウス(左2枚)
マレーシアを代表する国際的な画家チャールズ・チャム氏のアトリエ兼、ギャラリー。
■ババニョニャヘリテージ博物館(右上)
1896年に建てられたプラナカンの邸宅をそのまま利用した博物館です。
その他マラッカの建造物(右下2枚)です。
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