テハマナの祖先 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1893年)です。
モデルの女性はゴーギャンの現地妻のテハマナです。テハマナがゴーギャンの妻となった時、彼女は13歳だったと言われています。本作は月の女神ヒナやイースター島の字体などを一緒に描かれ、観る者に神秘性を感じさせる作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
絵の中のテハマナは教会へ礼拝しに行くときに着る、彼女の持つ服内で最高級の物を身に纏い、手には美しさのシンボルと称されている飾られた団扇を持っています。
右にある低いテーブルの上に置かれた2つの熟したマンゴーは、タヒチの豊穣を表しています。左上には月の女神ヒナが生命を与えるジェスチャーで描かれ、テハアマナの頭の後ろには、イースター島のロンゴロンゴの字体が描かれています。月の女神ヒナやイースター島の字体などが一緒に描かれ、観る者に神秘性を感じさせます。
下の碑文にはタヒチ語で「メラヒメトゥアノ|テハマナ」と書かれています。これは「テハアマナには多くの親がいる」という意味で、タヒチには里親と実の親との間で子供を共有する習慣がありました。更に、すべてのタヒチ人が古代の神ヒナとタアロアから派生したという逸話から「テハマナの祖先」というタイトルになりました。
アメリカのシカゴ美術研究所所蔵。
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アルルのコテージ ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1888年)です。
フランスはプロヴァンスのアルルに広がる田舎の風景を描いた作品です。ゴーギャンがアルルでヴィンセント・ヴァン・ゴッホと共に生活し、創作に励んでいた短い二ヶ月の間に制作されたものです。
それでは具体的に観て行きましょう。
「マス」と呼ばれる伝統的な農家と、その地域特有のヒノキの木が描かれています。真ん中辺りに描かれている干し草の山は作物の収穫時であることを示しています。
ゴーギャンがこの主題を選んだ当時、ポール・セザンヌを崇拝しており、絵画にも大きな影響を受けていました。ゴーギャンはセザンヌの手法を参考とし、幾何学的な形状に重点を置いて作品を描きました。絵の中に細かく配置された筆跡は、干し草と農家を囲い、ゴーギャンなりの秩序を作り出しています。
アメリカのインディアナポリス美術館所蔵。
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二人のタヒチ女 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1899年)です。
ゴーギャンが名誉毀損を受けパリに住みづらくなり、タヒチへ移住したころに制作した作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
タヒチ島でマンゴーと花を手に持つトップレスの二人の女性が描かれています。女性たちは鑑賞者の方へ堂々と裸の身体を向けています。女性の胸を花や果物と一緒に描いており、明らかに鑑賞者を誘惑しているのがわかります。しかし、彼女たちの視線はよくみると少しずれています。左の女性の首から下は強い光で照らされていますが、表情は薄暗く描かれています。
当時ゴーギャンはタヒチの原住民女性の穏やかな性格と美しさに魅了されていました。
「タヒチのイブ」として、二人の女性を彫刻的なポーズで、生き生きと描いたのでした。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
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崖の上のフラジェレ演奏者者 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1889年)です。
本作はブルターニュ地方の険しい海岸を、目まぐるしい天上からの視点で描いたパノラマビューの作品です。ゴーギャンは目に写った景色を、ゴーギャン自身が生み出したポン=タヴァン派綜合主義(※1)という手法を用いて、この作品を描きました。
それでは具体的に観て行きましょう。
崖道の上で大西洋を見下ろす男女2人が描かれています。この作品に描かれているのは、ブリターニュ地方のクロアール=カルノアという村の風景です。2人の内、女性の方は小麦を収穫するための鎌を持っており、男性の方はその地域の伝統的なフルートであるフラジェレを演奏しています。鎌そしてフルートは、ゴーギャンのブルターニュの平和な日常生活に対する深き愛着を表しています。
ゴーギャンの独特な視点と、鮮やかな色のパッチワークによって、どことなく視覚的で刺激的な絵に仕上げられています。しかし、この作品に描かれているのは、現実の風景を正確に再現したものではありません。波のうねりは写真に近いものであるも、実際の砂はゴーギャンが描いたバラ色ではなく黄色でした。
ゴーギャンは目に写った景色に心を奪われながらも、ゴーギャン自身が生み出したポン=タヴァン派綜合主義という手法を用いて、この作品を描いたのでした。
アメリカのインディアナポリス美術館所蔵
※1:ポン=タヴァン派綜合主義:ゴーギャンとベルナールによってポン=タヴァンで生み出されたスタイル。複数のイメージを結び合わせて総合することによって、印象派とは全く異なる表現を創りだそうとしました。
対象の忠実な写実を捨て去ること、画家の記憶に基づきながら、画家自身の感情を反映させて制作を行うこと、純色を大胆に用いること、遠近法や陰影を使わないこと、明確な輪郭線で区切られた平坦な色面で描くというクロワゾニスムの技法を用いること、不要なディテールを捨象した幾何学的構図によること、といった原則を打ち立てました。
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頭のかたちをした花瓶と日本の版画のある静物 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1889年)です。
1889年頃、ゴーギャンは日本の木版画である浮世絵に夢中でした。この絵の中にも歌舞伎演者を描いた浮世絵が背景に描かれています。その他、「リンゴと水差しのある静物」や「シェフネッケル家」にも浮世絵が描かれています。
それでは具体的に観て行きましょう。
最初に目を引くのは、ピンクのテーブルクロスに覆われたテーブルの上の人の頭の形をした木の花瓶です。この花瓶の中の人物はタヒチの現地の人物の一人と考えられています。奥の壁は黄色がかっています。人の頭の形をした花瓶の左側には、紫がかった葉っぱの花瓶が見えます。後方には、日本美術でお馴染みの浮世絵が描かれています。
本作はゴーギャンの名作の一つで、色彩、遠近法、奥行きは、観る者を想像の世界に引き込みます。
イランのテヘラン現代美術館所蔵
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未開の物語 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1902年)です。
ゴーギャンはこの絵を通じて、未開であるポリネシアの神話的世界とアジア的な宗教性、ヨーロッパ的な文明を併置することで、人間の営みの意味を、観る者に問いかけています。
それでは具体的に観て行きましょう。
右側の赤毛の若い女は、ゴーギャンの使用人カフィの養女トホタウアです。
中央の人物は、女とも男ともつかぬ姿で結跏趺坐(仏教とヨーガにある瞑想する際の座法)の姿勢をとっています。左側の男は、邪悪な表情をしていますが、この邪悪さが西洋の精神的なあり方のシンボルとなっています。
この三者を森の中で並んで座らせることで、ヒヴァ・オア島と南アジアの穏やかな精神性、そして西洋的なものの邪悪さを対比しています。
背景の昼か夜かも分からない重々しい雰囲気の描写や背景の植物の濃密な色彩から、神話的なイメージが漂って来ます。
ドイツのフォルクヴァング美術館所蔵
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ヒヴァ・オア島の魔法使い ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1902年)です。
当時、まだ西洋文化が浸透していなかった未開の地、タヒチ北東のヒヴァ・オア島の儀式を司る原住民魔術師パプアニを描いています。ゴーギャンの空想性と夢遊性に溢れた光と色彩の表現が際立った作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
中央やや左に描かれている真紅の外套を身に着けた魔術師パプアニは、親指と人差し指で小さな白花を摘み、後方に描かれている原住民の2人の婦人に差し出しています。魔術師パプアニの視線はまどろみに包まれたかのように空虚な印象でありながら、不思議と野性味と生命力に満ち溢れています。
さらに魔術師パプアニの顔面と対角線の右下には幻想性豊かな狐と野鳥が配されていますが、これはマルキーズ諸島の古代信仰を意味していると言われています。
魔術師パプアニの強い原色的な赤色と濃紺の衣服は、西洋絵画の伝統的な宗教的色彩と共通しています。しかし、そこから生み出される印象は全く異なり、ゴーギャンが魔術師に不可思議性や恐怖感覚を抱いていたことが判ります。
また人物などが配される画面左側と動物達が配される右下、そして遠景として描かれる森林には比較的強い光彩が用いられており、さらに中景の灰褐色で表現される小川が光によって鈍く輝いています。これらが互いに相乗し合うことで、本作にある種の調和と自然の不変的神秘性を与えています。
ゴーギャンの空想性と夢遊性に溢れた光と色彩の表現が際立っている作品です。
ベルギーのリエージュ近代美術館所蔵
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白い馬 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1898年)です。
ゴーギャンの晩年作品で、友人の薬剤師の依頼により描かれたものです。白馬が水を飲んでいるが、緑色の馬体は非常にまがまがしく幻想的に見えます。
依頼主はこの白馬を見て受け取りを拒否したと言われます。この時期、ゴーギャンは自殺未遂をしており、絵画に精神面の不安定さが表れている作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
この白い馬の姿勢は、ギリシャのパルテノン神殿にあるレリーフに影響を受けたとされています。穏やかに水を飲んでいるように見える馬ですが、一白馬といわれる優雅で華奢なイメージではなく、骨太で野性味があふれています。色も自然の緑に囲まれて、馬自体も緑を帯び、人と共にいながらも飼いならされていない雰囲気が漂っています。穏やかな中にも人工物を寄せ付けない自然のエネルギーが感じられ、毅然とした美しさを放っています。
白い馬の奥には裸の人を乗せた赤茶色の馬と、右奥にも周りの色に溶けこんでいる人を乗せた茶色い馬がいます。その佇まいは自然の中にいて非現実的で、異次元に吸い込まれていくような幻想的な雰囲気を醸し出しています。
この作品を描いた時期、ゴーギャンは自殺未遂をしており、絵画にゴーギャンの精神面の不安定さが表れています。
オルセー美術館所蔵
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我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの最も有名な作品(1897年)です。
本作には、ゴーギャンの人生観や死生観、独自の世界観などが描かれています。ゴーギャンは最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、この作品完成後、ヒ素を飲んで自殺を図りましたが、未遂に終わりました。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作はフレスコ画を意識して描かれていますが、「見る」のではなく右から左へと「読む」絵画です。
右端に描かれた眠っている赤ん坊にはじまり、左端に描かれた死を見つめる老女へと向かいます。
赤ん坊と老女の間には、複数の人物と動物のほかに「神」を思わせる像も描かれており、中央に立つ女性はリンゴに手を伸ばしており、イヴを連想させます。
強烈な原色的色彩と単純化・平面化された人体表現、光と闇が交錯する世界観はゴーギャン独自の絵画世界そのものであり、ゴーギャンの抱く思想や心理的精神性を、観る者へ訴え、問いかけているようです。
ボストン美術館所蔵
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