マンドリンを弾く少女 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソの分析的キュビスムの時代(※1)の代表作です。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作はマンンドリンを持った少女のヌード絵画です。
立方体、正方形、長方形などさまざまな幾何学形を使って、少女の輪郭を分解しています。一定の方向から対象を描くのではなく、可能な限り複数の方向から彼女を描こうとしました。
彼女の背景色も、幾何学形を使ったライトブラウン単色で描かれており、ぱっと見る限り背景と人間の境界線が分からないようになっています。
ニューヨーク近代美術館所蔵。
※1:分析的キュビスムの時代(1908年 – 1912年):原始的キュビスムの時代(1908年 – 1909年)から更に分析が進み、対象が徹底的に分解され、最終的には何が描かれているのか識別することが困難なところにまで進んでいきました。
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朝鮮の虐殺 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
本作は信川虐殺事件を批判し作成した作品です。
画面左側に描かれているのは、母親と子供、妊婦です。これは「信川虐殺」の最も悲劇的な事件である「400オモニ(母親)の墓」「102子供の墓」からの引用です。
右側に並ぶ兵士たちは、中世から近代にかけてのさまざまな防具を寄せ集めたような不格好な姿で、近代的ロボットのようにも見えます。しかし、下半身は尻や性器が丸出しです。
本作はピカソのキュビスム表現主義の時代(※1)の作品です。
パリのピカソ美術館所蔵。
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム表現主義的な作品を多く残した時代
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ゲルニカ パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソのキュビスム表現主義の時代の代表作で、美術史において最も力強い反戦絵画芸術の1つと評価されている作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
人間のような目を持った闘牛の頭、その下には空爆の犠牲となった子供を抱えて泣き叫ぶ母親、狂ったように叫ぶ馬、天を仰ぎ救いを求める者など、それぞれの姿を大胆に変形させることで、動作や表情を強調しています。
戦争によって与えられる恐怖や苦しみ、悲しみといった人間の普遍的な感情が表現されている作品で、ピカソは「スペイしンを苦悩と死に沈めた軍隊に対する憎悪を表現した」と語っています。
マドリードのソフィア王妃芸術センター所蔵。
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム表現主義的な作品を多く残した時代。
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母と子 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソの新古典主義の時代の代表作です。
それでは具体的に観て行きましょう。
母と子は、アングルやルノワールの影響を受けて描かれた作品です。母の膝の上に子どもが座って、母に触ろうとしています。ギリシア風ガウンに身を包んだ母親は、膝の上の子どもをじっと見つめています。背景は砂場と海と空でシンプルに描かれています。
母と子に対するピカソの視点は感傷的なものではなく、この時代のピカソ自身の人生が反映されています。この作品を描いた1921年は、ピカソがロシアの踊り子であるオルガと結婚し、第一子が生まれた年です。本作からピカソの家庭的な平穏と安定が見て取れます。
シカゴ美術研究所所蔵。
※1:新古典主義の時代(1917年 – 1925年):ピカソはローマ旅行で古代ローマやルネサンスなどの様式に感銘を受け、自身の作品に古典様式を導入し始めるようになります。
この新古典主義の時代に、妻オルガと息子パウロをモデルに、どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻などの特徴がある絵画を数多く描きました。
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花と女性 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソのシュルレアリスム(超現実主義)の時代に描かれたものです。
それでは具体的に観て行きましょう。
描かれているのは、ピカソの愛人となったマリー・テレーズで、女と花を重ねあわせて描いています。女の頭と花の房は両方とも豆のような形をしており、花の房が彼女の髪の毛と対応し、茎が腕と対応していています。
ピカソはシュルレアリスムから各々の物体をほかの物体に置き換えて表現すること(ダブルイメージ(※1))が可能であることを学んだのでした。
※1:ダブルイメージとは、絵の中に、よく注意して見なければわからないように工夫して、他の絵を描き込んであるもの。
スイスのバーゼル美術館所蔵。
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舟と少女(マヤ・ピカソ) パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品で、娘のマヤを描いたものです。
苦痛や残酷性をテーマにすることが多いピカソですが、本作品はきわめて日常的で明るい作品です。色彩も独特で、チェック柄の絨毯の上で無邪気に遊んでいる娘の姿が映し出されています。
ピカソのキュビスム表現主義の時代(※1)の作品。
スイスのローゼンガルト・コレクション所蔵。
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム表現主義的な作品を多く残した時代
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泣く女 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソのキュビスム表現主義の時代(※1)の代表作のひとつです。
ピカソは「泣く女」という主題に関心を抱き、何度も同じテーマの作品を制作、100種類以上のバリエーションが存在しています。本作は「泣く女」シリーズの最後の作品で、最も完成度の高い作品と言われています。
それでは具体的に観て行きましょう。
なんとも複雑な表情をしています。女性が白いハンカチをくわえ泣いているようです。
当時、ピカソの周りには3人の女性がいました。新しい恋人のドラ・マール、その出現で隅に追いやられたマリー・テレーズ、すでに険悪な関係になっていた妻オルガです。
この作品はドラ・マールをメインに、その三人が同時に描かれており、ピカソの彼女たちをめぐる心の葛藤を表現したものと言われています。
彼女たちを苦しめることによってピカソ自身も悲痛な叫びをあげていたのでした。
ロンドンのテート・モダン所蔵。
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム表現主義の作品を多く描いた時代
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鏡の前の少女 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
本作品は、ピカソの愛人、マリー・テレーズ・ウォルターをモデルに、ピカソがギリシャ彫刻に感じていた「理想の女性像」を重ねて描いた作品です。
ピカソの超現実主義の時代(※1)の作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
テレーズの白い顔に差し込む後光は、顔の右半分を滑らかなラベンダー・ピンク色で照らして穏やかに描かれています。しかし、光が当たらない左半分は三日月のような顔をしており、緑のアイシャドウやオレンジの口紅などラフな厚化粧がほどこされています。これは、テレーズの昼と夜の両方の表情、また落ち着きと生命力の両方を表現しており、さらに純粋な少女から世俗的な大人の女性へ移行するテレーズ自身の性的成熟を表現しています。満月や新月ではなく三日月形になっている表情が「移行」を象徴しています。
また化粧テーブルの鏡に映るテレーズの姿は異形的です。顔はまるで死体のように黒々としており、まるで死に直面しているようにも見えます。ピカソは、そこに少女の魂、少女の未来、少女の恐怖を表現したのでした。
ニューヨーク近代美術館所蔵。
※1:超現実主義の時代(1925年 – 1936年):ピカソが超現実主義に興味をもった時代。
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アヴィニョンの娘たち  パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソのアフリカ彫刻の時代(※1)の代表作で、キュビスムのはしりと言われる作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
バルセロナのアヴィニョン通りに存在した売春宿にいた5人の売春婦のヌード画です。
画面左側の女性の横顔は古代エジプト彫刻、中央の2人の顔には、イベリア彫刻、また、グロテスクに歪曲された右の2人の顔には、アフリカ彫刻の影響が見え隠れします。
そして、本作は絵画ならではの新しい現実感を得るために、事物の形をいったん解体したうえで、画面のなかで複数の視点から再構成する「キュビスム」のはしりと言われます。
さらには、遠近法や明暗法に基づく伝統的な絵画の約束事を根本からくつがえした点で、現代絵画の出発点とも言われる大作です。
ニューヨーク近代美術館所蔵。
※1:アフリカ彫刻の時代(1906年 – 1908年):ピカソがアフリカ彫刻や古代イベリア彫刻の影響を強く受けた時代。
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