世界遺産、シギリヤ遺跡。

シギリヤロック(写真)は、スリランカで一番有名な観光スポット。高さ200mの岩山で、頂上には5世紀に作られた要塞化した王宮跡があります。

シギリヤ遺跡

シーギリヤの遺跡は、岩上(シギリヤロック)の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなります。
遺跡は、5世紀にカッサパ1世によって建造されました。1982年、古都シーギリヤとして、世界遺産に登録されました。

シギリヤロックの頂上を目指し、約1,000段の階段を1時間かけて登っていきます(左下、右上写真)。しばらく登っていくと「ライオンテラス」という広場に辿り着きます。その先の王宮の入口は、ライオンが守っています(左上の写真)。かつてはライオンの顔まで彫像があり、その開いた口のなかを階段がとおっていたそうです。現地語ではライオン(=シンハ)、喉(=ギリヤ)と言います。それでこの辺りを「シギリヤ」と呼ばれるようになりました。

右上の写真が、シギリヤロック頂上の王宮跡です。
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インド・イスラーム文化の最高傑作、タージ・マハル。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。インド・イスラーム文化の最高傑作と言われます。
シャー・ジャハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟(通称「黒のタージ・マハル」)を作ろうとしましたが、息子のシャー・ジャハーンにアーグラ城に幽閉され実現しませんでした。
「黒のタージ・マハル」 も観てみたかったですね!

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インド門

パリのエトワール凱旋門を基にエドウィン・ラッチェンスによって設計された門型のモニュメントで、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られました。
高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれています。東西に伸びるラージパト通りの東端はインド門、西端は大統領官邸となっています。永遠の火という火が灯されています。
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長さ6,259.6kmにも及ぶ、万里の長城。

万里の長城は、異民族が侵攻してくるのを迎撃するために秦の始皇帝によって建設されました。その後いくつかの王朝によって修築と移転が繰り返され、現存の「万里の長城」の大部分は明代に作られたものだそうです。現存する壁の長さは、6,259.6km。
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バンテアイ・スレイ寺院。

バンテアイ・スレイ寺院は大部分が赤い砂岩で建造された、バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味する寺院です。精巧な彫刻が施されていて、観光客にも人気があり、「アンコール美術の至宝」と賞賛されています。
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スケールが違う、アンコールワット。

カンボジア北西部に位置するユネスコの世界遺産であるアンコール遺跡の一つ。当初はヒンドゥー教寺院として作られましたが、16世紀後半に仏教寺院に改修され、現在は上座部仏教寺院となっています。
サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味します。クメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗にも描かれています。

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ガジュマルに覆われる、タ・プローム寺院。

5000人あまりの僧侶が暮らし、600人を超える踊り子が住んでいたとされるタ・プローム寺院。しかし、アンコール王朝の衰退とともに人々は去り、19世紀後半に発見されるまで、数百年の間密林に眠り続けていました。
覆い被さる巨木(ガジュマル)はまるで遺跡を食べているようです。

タ・プローム
タ・プローム

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ブッタパーク。

翌日、朝一でブッタパークへ行きました。ヴェンチャン市内のバスターミナルからバス(左上)で1時間の所にあります。この公園は1958年バンリューア・スリラットによって作られました。彼はヒンドゥー教と仏教を統合した聖職者シャーマンだったそうです。1975年の革命後、パット・ラオスの支配に不安を抱くバンリューア・スリラットは、ラオスからタイに逃げて、ノン・カイでもう一つの彫刻公園、サラ・カオクを建てました。
両公園はタイ・ラオス国境(メコン川)のすぐ隣に位置し、数キロメートル離れており、メコン川のタイ側からも見ることができるそうです。
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