世界の街角(公園&テーマパーク編)

世界一周旅行で見かけた、「公園&テーマパーク」を動画にまとめました。

ガンジーが火葬された場所、ラージガート。

1948年、暗殺されたインド独立運動の指導者ガンジーが火葬された場所 です。 黒大理石の慰霊碑には、最期の言葉である「ヘイ・ラーム(おお、神よ)」の文字が刻まれています。 ラージガートの周りは綺麗に清掃されていました。

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敷地面積25万㎡、中正記念堂。

敷地面積:25万㎡で、日本統治時代の山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地跡地にあります。建物の高さは70mで、西にある中国大陸を臨むように設計されています。
メインフロアの奥には巨大な蒋介石の銅像が設置されており、銅像の上部には蒋介石の基本政治理念であった「倫理、民主、科学」という三民主義の本質が記されています。
日中は像の両脇で儀仗隊が警護しており、1時間ごとに交代の儀式が行われます。
中正紀念堂の「中正」とは蒋介石の本名です。
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ブッタパーク。

翌日、朝一でブッタパークへ行きました。ヴェンチャン市内のバスターミナルからバス(左上)で1時間の所にあります。この公園は1958年バンリューア・スリラットによって作られました。彼はヒンドゥー教と仏教を統合した聖職者シャーマンだったそうです。1975年の革命後、パット・ラオスの支配に不安を抱くバンリューア・スリラットは、ラオスからタイに逃げて、ノン・カイでもう一つの彫刻公園、サラ・カオクを建てました。
両公園はタイ・ラオス国境(メコン川)のすぐ隣に位置し、数キロメートル離れており、メコン川のタイ側からも見ることができるそうです。
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ヤンゴンのスーレー ・パゴダ他。

■スーレー ・パゴダ(右下)
ヤンゴン市の中心部にある仏塔。 
今も昔もスレー・パゴダは、ヤンゴンおよびミャンマーの政治の中心地です。
■ヤンゴン中央駅(左上)
最初の駅は1877年にイギリス人が建設しましたが、日本軍の進攻によりイギリス人によって1943年に破壊されました。 
現在の駅は1954年に伝統的なビルマ建築様式で再建されたものです。
ビルマ建築様式って、なんかカッコいい!
■ヤンゴン シティホール(左上下、真ん中左)
1936年建設。ビルマ人建築家ウ・ティンの作品だそうです。
■マハバンドゥーラ公園(右上)
ミャンマーがイギリスから独立した証の独立記念塔が建ってます。
■旧最高裁判所(真ん中右)
イギリス統治時代のコロニアル様式の建物。20世紀初頭より首都がネピドーに移るまで最高裁判所として使われました。
手前はマハバンドゥーラ公園です。

広州の越秀公園と中山紀念堂。

越秀公園(左上、右上)は、3つの人工湖と7つの人工の山、5つの丘陵がある、総面積約84万㎡の公園。
中山紀念堂は、辛亥革命(1911年)の指導者孫文(1866-1925年、号は中山)を記念して、1931年に広州市民と海外華僑の献金によって建てられたもの。場所は1921年に孫文が大統領に就任した官邸跡地にあります。紺色の瑠璃瓦が美しい八角形のホールの高さは58メートル。5000人を収容でき る内部には、柱は一本も使用されていいません。中国人技士によって造られた独特の構造で、音響効果も大変良いそうです。
右下はサッカー場。そう言えば、広州に強いサッカーチームがありましたね。

マニラのリサール公園。

独立運動の闘士、ホセ・リサールは、サンチャゴ要塞の地下牢に投獄された後、1896年12月30日、ここで処刑されました。
リサールの殉死がフィリピン革命の口火を切り、この革命によって、3世紀以上続いたスペインによる支配が終焉を迎えます。
リサールは現在でもフィリピンの国家的英雄です。公園にはリサール記念碑が建てられており、炎天下の中、制服で身を固めた衛兵が警護してました(右上)。
下3枚は、リサール公園内にある中国庭園。

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