ロワール古城の一つ、ブロワ城。


 ブロワ城は、ロワール川を望む高台に建つヨーロッパ屈指の名城で、フランスの7人の王と10人の王妃が住んだ王家の城です。
歴代の王によって手が加えられ続けたため、ゴシック、ルネッサンス初期、ルネッサンス完成期、古典と、4つの建築様式が入り混じっています。
また、1429年ジャンヌ・ダルクがイギリスに向けて軍を出発させる前に、ランスの大司教から祝福を受けた場所としても有名です。

 

<MAP>

世界の街角(Castle(城)編)

世界3周旅で見かけた、「Castle(城)」を動画にまとめました。

バビロンの城

ローマ帝国時代に建設。ローマ軍はナイルデルタ地帯の先端地域を戦略的な要地として支配を続け、トラヤヌス帝(98-117年)及び、アルカディウス帝(395-408年)の時代に拡張、要塞化しました。
残念ながら砦は今世紀の初頭に廃墟となってしまいましたが、ローマ時代の軍事的建造物の中で最もよく保存されたものの一つです。


<MAP>

象に乗って、アンベール城へ。

城郭都市アンベールにある宮殿。
宮殿後ろの山上にジャイガル城砦あり、隠れた通路でつながっているそうです。
アンベールは、ラージプートのカチワーハー家の王国・アンベール王国の首都でした。ムガル帝国の第3代君主アクバル1世は、1562年にアンベール王の娘と結婚してアンベール王国と同盟したのを皮切りに、アンベールをはじめとするラージプートの王侯を次々に連合し傘下に加えていきました。そして、 1592年に、もともと城砦があった所に築城が始められました。
観光客が象に乗って城のある丘まで登ることができます。 (右下の写真)
<MAP>

レッド・フォート「赤い城」

インドのデリーにあるムガル帝国時代の城塞。デリー城とも言われています。 インドで「赤い城」と言えば同じく帝国時代に築かれたアーグラ城塞を指す場合もあります。 ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アーグラから遷都し、自らの名を冠した新都シャージャハーナーバードにおける居城として築きました。1639年から9年をかけ1648年に完成。
<MAP>

インド・イスラーム文化の最高傑作、タージ・マハル。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。インド・イスラーム文化の最高傑作と言われます。
シャー・ジャハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟(通称「黒のタージ・マハル」)を作ろうとしましたが、息子のシャー・ジャハーンにアーグラ城に幽閉され実現しませんでした。
「黒のタージ・マハル」 も観てみたかったですね!

<MAP>

悲しい物語りがあった、アーグラ城塞

デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルにより1573年に構築されました。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の皇帝に使用されました。


シャー・ジャハーンは、タージ・マハルを構築した皇帝です。 シャー・ジャハーンの息子であるアウラングゼーブは兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」に幽閉しました。
シャー・ジャハーンは、亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら、1666年に74歳で亡くなったそうです。なんとも悲しい物語です。右下の写真が遠くに見える タージ・マハル 。
<MAP>

長さ6,259.6kmにも及ぶ、万里の長城。

万里の長城は、異民族が侵攻してくるのを迎撃するために秦の始皇帝によって建設されました。その後いくつかの王朝によって修築と移転が繰り返され、現存の「万里の長城」の大部分は明代に作られたものだそうです。現存する壁の長さは、6,259.6km。
< MAP >

プロヴァンの教会と城

サント クロワ(聖十字)教会(上2枚)
名前はシャンパーニュ伯チボー4世がエルサレムから本物の(イエスが架けられた)十字架の欠片を持ち帰ったとされることに由来し作られたそうです。
サン キリヤース教会(左下3枚)
12世紀にジャンパーニュ伯の命で建造が始まりますが、フィリップ4世の時代にイングランドとの戦いで戦費が嵩み建設が中断。天井ドームは17世紀に完成したものです。
セザールの塔(右下2枚)
1152年から1181年の間に立てられたこの塔。防御上はそんなに強固ではなく、軍事拠点としてよりも、むしろ監獄として使われたそうです。
敷石の上にあり、四角い土台の上に多角柱のドンジョン(城塞の中心塔)が載っています。
< MAP >

Copyrighted Image