世界の街を早足で散歩しよう!
「フィリピンのマニラ編」
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Just do it myself!
世界の街を早足で散歩しよう!
「フィリピンのマニラ編」
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フィリピンの首都マニラ中心部のキアポ地区にある、ローマカトリックの教会。スペイン統治時代の1582年にフランチェスコ修道会により創設されました。
17世紀にメキシコからもたらされた、ブラックナザレとよばれる木製の黒いキリスト像があることで知られていますが、写真はありません。(^-^;
サンチャゴ要塞は、第二次世界大戦時の日本軍の重要な拠点で、アメリカ軍との死闘が繰り広げられた場所です。
左下は第二次世界大戦時、日本軍はフィリピン人を地下牢に閉じ込め、満潮時に彼らを水死させた場所。捕虜600名が溺死したと言われてます。
日本人はひとりでは優しいのに、集団になると時に残酷になります。忠義の為には仕方がないと考えてしまうのか?
スペイン統治時代の1571年に建設。
第二次世界大戦で破壊されますが、戦後、ネオロマネスク様式で再建されました。
アジア最大級のパイプオルガンが設置されています(真ん中下)。
世界遺産『フィリピンのバロック様式教会群』の4つの教会のひとつ。
スペイン統治下の1587年〜1606年に建築されたフィリピン最古のバロック建築の教会。
美術館が併設されてました。(真ん中下、右下)。
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独立運動の闘士、ホセ・リサールは、サンチャゴ要塞の地下牢に投獄された後、1896年12月30日、ここで処刑されました。
リサールの殉死がフィリピン革命の口火を切り、この革命によって、3世紀以上続いたスペインによる支配が終焉を迎えます。
リサールは現在でもフィリピンの国家的英雄です。公園にはリサール記念碑が建てられており、炎天下の中、制服で身を固めた衛兵が警護してました(右上)。
下3枚は、リサール公園内にある中国庭園。
1591年に建設。
18世紀後半にイギリス軍が上陸した際はマニラ攻略の拠点になりました。また太平洋戦争でもアメリカや日本の収容所として使われたそうです。
右下2枚はマニラ湾です。
ボホール島のタクビララン空港(真ん中)から、マニラへ戻ります。
タクビララン空港の搭乗口では、男3人が生演奏をしてくれました(右上)。
飛行機の上からフィリピンの島を撮影、海が綺麗です(左下)。
マニラのホテルに戻り、近くのランドリ屋さんで洗濯をしました(右下)。
外のランドリ屋さんで洗濯するのは初めての経験です。^_^
スリにあい意気消沈して、ホテルに到着。
でもフィリピンのホテルは安くて良いです。(約3,200円、朝食付)。