電車の旅、バルセロナからヴァレンス経由ニースへ!

バルセロナからニースへヴァレンス経由で行きます。
TGVの切符がヴァレンス迄しか取れなかった為、ヴァレンスで一泊することにしました。
TGVの予約は国を跨ると上手く出来ないみたい。
バルセロナ(スペイン)駅で、ヴァレンス(フランス)発ニース行きの切符が取れませんでした。私のコミュニケーション力が足らないだけ?
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バルセロナの夕陽。

の写真にて、バルセロナとお別れです。
バルセロナは、ガウディとピカソの街と言う印象。ガウディの建築物は紹介済なので、ピカソの説明を少し。
ピカソはマラガ生まれで、幼少期にバルセロナで父から絵画の指導を受けています。その為か、バルセロナにもマラガにもピカソ美術館がありました。
話は変わりますが、スペインは失業率が20%を超えているそうです。スペインのどこの街でも物乞いを見かけたのは、その為でしょうか? 
スペインの物乞いさんは結構、しっかりとした身なりをしてましたけど。。。

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ガウディ作品、カサ・バトリヨ。

1877年に建設された建物。大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスの依頼を受け、1904年から1906年にかけて、ガウディが改築を行いました。この改築でガウディは、建物に5階と地下室を加え、玄関広間を広げ、階段や内壁を作り直し、各部屋に曲線的なデザインを持ち込んで、タイルやステンドグラスの装飾を施しました。
この邸宅の造形には様々な説があします。第一に、屋根の一部が丸く盛り上がり、まるでドラゴンの背中のように見えることから、カタルーニャの守護聖人であるサン・ジョルディの竜退治の伝説をなぞっているという解釈です。この解釈によれば塔は聖人の構える槍とされます。カサ・バトリョには、ファサードの石柱が骨を想起させることから「骨の家」というあだ名もありますが、竜退治説によればこの骨もドラゴンの犠牲になったものたちの骨と理解されています。
第二の解釈は屋根をアルルカンの帽子に見立て、ファサードのバルコニーは仮面を、ジュゼップ・マリア・ジュジョールによる様々な色の破砕タイルのモザイクが祭りの紙吹雪を表しているとする謝肉祭説です。
Wikipedia引用。
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ガウディ作品、カサ・ミラ。

ガウディが54歳の時に設計したもの。1906年から1910年にかけて実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として建設されました。カサ・ミラは直線部分をまったくもたない建造物です。
Wikipedia引用。
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ガウディ作品、グエル公園。

施主のエウゼビ・グエル伯爵とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造されました。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとしました。この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでおり、それに対してガウディとグエルはこの場所に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとします。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されませんでした。結局、広場、道路などのインフラが作られ60軒が計画されていましたが、買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエル伯爵だけでだったといいます。グエル伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付されました。
Wikipedia引用。
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サンタ・エウラリア大聖堂。

バルセロナ伯ジャウマ2世時代の1298年に建設が始まり、およそ150年後に完成しました。ゴシック様式。聖十字架及びバルセロナの守護聖人である聖エウラリアに献堂されました。聖エウラリアの遺骸は当時のバルセロナ司教フロドイによって地下納骨堂に埋葬されました。
Wikipedia引用。

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