象に乗って、アンベール城へ。

城郭都市アンベールにある宮殿。
宮殿後ろの山上にジャイガル城砦あり、隠れた通路でつながっているそうです。
アンベールは、ラージプートのカチワーハー家の王国・アンベール王国の首都でした。ムガル帝国の第3代君主アクバル1世は、1562年にアンベール王の娘と結婚してアンベール王国と同盟したのを皮切りに、アンベールをはじめとするラージプートの王侯を次々に連合し傘下に加えていきました。そして、 1592年に、もともと城砦があった所に築城が始められました。
観光客が象に乗って城のある丘まで登ることができます。 (右下の写真)
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ムガル建築の代表作、アクバル廟。

ムガル帝国の皇帝アクバル大帝の墓廟。ムガル建築の代表作です。
1605年にアクバルが死亡したのち、アーグラのシカンドラーで建設が始まり、1613年に建築が終了しました。
1687年、アウラングゼーブの治世にアクバル廟はジャートによって荒らされ、その際、廟の高価な宝石類や金銀の硬貨は持ち出されてしまいました。
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レッド・フォート「赤い城」

インドのデリーにあるムガル帝国時代の城塞。デリー城とも言われています。 インドで「赤い城」と言えば同じく帝国時代に築かれたアーグラ城塞を指す場合もあります。 ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アーグラから遷都し、自らの名を冠した新都シャージャハーナーバードにおける居城として築きました。1639年から9年をかけ1648年に完成。
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インド・イスラーム文化の最高傑作、タージ・マハル。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。インド・イスラーム文化の最高傑作と言われます。
シャー・ジャハーンは、タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に黒大理石で出来た自身の廟(通称「黒のタージ・マハル」)を作ろうとしましたが、息子のシャー・ジャハーンにアーグラ城に幽閉され実現しませんでした。
「黒のタージ・マハル」 も観てみたかったですね!

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悲しい物語りがあった、アーグラ城塞

デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルにより1573年に構築されました。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の皇帝に使用されました。


シャー・ジャハーンは、タージ・マハルを構築した皇帝です。 シャー・ジャハーンの息子であるアウラングゼーブは兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」に幽閉しました。
シャー・ジャハーンは、亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら、1666年に74歳で亡くなったそうです。なんとも悲しい物語です。右下の写真が遠くに見える タージ・マハル 。
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仏教の四大聖地のひとつ、サールナート

釈迦が菩提樹下で悟りを開いた後、鹿が多く住む林の中で、初めて仏教の教義を説いた初転法輪の地です。
初転法輪とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指します。そこで、釈迦は5人の修行仲間(五比丘)に仏教の中核概念である「四諦、八正道、中道」を説いたと言われています。

釈迦の一生が壁画になってました。
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寝台列車で、デリーからワーラーナシーへ

寝台列車に乗って、デリーからワーラーナシーへ行きます。
左上写真は、ニューデリー駅のプラットフォームです。右上下の写真は、列車の外観。左下の写真は、社内の上下二段のベットです。乗車時間は約12時間。
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インド門

パリのエトワール凱旋門を基にエドウィン・ラッチェンスによって設計された門型のモニュメントで、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られました。
高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれています。東西に伸びるラージパト通りの東端はインド門、西端は大統領官邸となっています。永遠の火という火が灯されています。
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