ラ・グルヌイエール クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1896年頃)です。
本作は、パリ近くブージヴァル近郊セーヌ川の河畔にある新興行楽地であった水浴場、ラ・グルヌイエールをモデルにしています。
それでは具体的に観て行きましょう。
水面に映える桟橋やカフェ、そして、反射して煌めく光が効果的に描き出されています。当時、モネとルノワールはラ・グルヌイエールで画架を並べて絵画を描きながら、水面に反射する陽光の効果と表現の研究に没頭していました。光によって変化する色彩を、画面上に細かい筆触を置くことによって視覚的に混合させる「筆触分割」と呼ばれる表現手法をラ・グルヌイエールの製作によって生み出しました。
またモネとルノワールは、日本の広重の版画にも影響を受けています。
モネとルノワールのラ・グルヌイエールでの経験は、その後に開花する印象派のスタイルの確立に繋がって行くのでした。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
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サンタドレスのテラス クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの作品(1867年頃)です。
モネは1867年の夏をフランスのル・アーブル近くのイギリス海峡のリゾートで過ごしました。本作は、その時に描いた作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
前景ではモネの父親アドルフと伯母ソフィー・ルカドルがテラスの椅子に座りながら海を眺めています。そして、その奥ではモネの従姉妹となるジャンヌ=マルグリット・ルカドルが親族と談笑しています。明瞭で輝くような陽光に照らされるテラスで寛ぐモネ一族の姿は、当時のモネの逼迫した経済状況を伺い知ることはできないほど、幸福的情景に溢れています。
明確に区別された近景の庭と遠景の海景を組み合わせた構図が印象的です。強く明瞭な陽光によって浮かび上がる登場人物や庭の花々、風に靡く二本の旗、庭の前に広がる海景と港を行き交う数多くの船舶、青々とした高い空などの表現は写実的です。また、色彩描写においても、本作には心象や印象に基づいた色彩ではなく、より現実に近い色彩が用いられています。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
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船遊び エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの作品(1874年頃)です。セーヌ川で舟遊びを楽しむ男女を描いており、水平線を描かず場面と対象のみを切り取った、日本の版画的な構図と構成が特徴の作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
舟遊びを楽しむ男女と船は柔らかな陽光を浴び、輝きを帯びながら画面内へ大胆に配され、日本の版画のようにフレームで切り取られています。女性が身に着ける衣服の縦縞模様の荒々しい筆触は、光の表現において印象的な効果を生み出しています。また青々としたセーヌ川水面は、反射する陽光によって多様な色彩的表情を見せているほか、繊細で鮮やかな色彩描写は自然と観る者の視線を傾けさせる事に成功しています。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
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玉座の聖母子と五聖人 ラファエッロ・サンツィオ

古典主義絵画の祖のイタリア画家、ラファエッロ・サンツィオの初期の作品(1504年頃)です。
ラファエッロがペルージャのフランシスコ会サンタントニオ修道院のために描いた祭壇画で、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されており、アメリカに唯一あるラファエッロの祭壇画となっています。
それでは具体的に観て行きましょう。
聖ペテロ、カトリーヌ、ルーシー、聖パウロ、若き日の洗礼者ヨハネ、若き日のイエス・キリストが玉座に座っている様子を描いています。キリストは聖母マリアの膝の上に座っており、聖母マリアの足元にいる洗礼者ヨハネを祝福しているのが見えます。他の4人の聖人(聖ペテロ、聖カタリナ、聖ルチア、聖パウロ)も玉座の周りに集まり、感謝の祈りを行っています。
聖母マリアが玉座に座っているのは、カトリック教会の信者の間では、聖母マリアが世界の救世主であると考えられているためです。感謝の祈りが行われている四角い部分は、背景に丘や塔、植物などが描かれている世界を表し、半円の天蓋は、神と二人の天使がいる神の世界を表しています。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵。
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二人のタヒチ女 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1899年)です。
ゴーギャンが名誉毀損を受けパリに住みづらくなり、タヒチへ移住したころに制作した作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
タヒチ島でマンゴーと花を手に持つトップレスの二人の女性が描かれています。女性たちは鑑賞者の方へ堂々と裸の身体を向けています。女性の胸を花や果物と一緒に描いており、明らかに鑑賞者を誘惑しているのがわかります。しかし、彼女たちの視線はよくみると少しずれています。左の女性の首から下は強い光で照らされていますが、表情は薄暗く描かれています。
当時ゴーギャンはタヒチの原住民女性の穏やかな性格と美しさに魅了されていました。
「タヒチのイブ」として、二人の女性を彫刻的なポーズで、生き生きと描いたのでした。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
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僧侶としてのドミニク叔父の肖像 ポール・セザンヌ

フランスのポスト印象派の画家、ポール・セザンヌ(1866年)の作品です。
若き日のセザンヌは、情熱的だが暗く幻想的な絵を何枚も描いています。
それでは具体的に観て行きましょう。
官能的なものと瞑想的なもの、拡張的なものと自己抑制的なもの等、対極にあるものが描かれています。白、グレー、黒の配色で、肉体の無骨さと土の色調を対比させています。白から青みがかった冷たい色調、黄色、赤、茶色の暖かい色調を経て黒へと移っていき、襟元の冷たく突き刺すような青の輝きが全体を明るくしています。
シンプルであるが故に、ある種の壮大さを持っており、絵は空間を埋め尽くしていますが、同時に硬直もし、かつ、その暗さは動きを持っています。
更に、フードの先端は繊細に描かれており、頭部を長くしたり狭くしたりする事で、微妙に軸をずらしています。
この様に描かれたドミニク叔父さんからは、無骨で確信に満ち、かつ、激しさと獰猛さが感じられます。
セザンヌは、母の弟であるドミニク叔父さんを修道士に扮して描くことで、孤独と肉体を表現しようとしたのでした。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵
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麦わら帽子を被ったギュスターヴ・ボイヤー ポール・セザンヌ

フランスのポスト印象派の画家、ポール・セザンヌの作品です。
本作は圧倒的な存在感と対照的に何か不穏で不吉なものを感じずには得ない作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
胸部、頭部、帽子の構造とプロポーションには、圧倒的な存在感があります。
右側の帽子と上着の突出したシルエットは、顔の特徴と同様に力強い横顔を作り出し、そこからは厳粛な意志を感じます。これに加え、薄っすらと描かれた部分から、肉付きのある顔のしっかりとした部分へと移行する筆の勢いが素晴らしい。
また、帽子や顔の暖かい光の部分と周囲の暗部との色彩の調和には、繊細さが感じられます。そして、右目のハイライトは、顔の軸から視線を離し、その軸は、鼻、口、顎の明暗によって、わざと壊されています。更に、帽子を被ったしっかりとした頭の形と劣勢にある左目からは、モデルの自信に反して、何か不穏で不吉なものを感じさせます。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵。
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温室のセザンヌ夫人 ポール・セザンヌ

フランスのポスト印象派の画家、ポール・セザンヌの作品です。
セザンヌは、妻オルタンス・フィケを20点前後描いていますが、本作はその中の代表的なものの一つです。製作当時、セザンヌとオルタンスは、まだ結婚していませんでした。本作からはセザンヌのオルタンスへの愛情が伝わってきます。
それでは具体的に観て行きましょう。
セザンヌ夫人は、黒い細身の衣服に身を包み、やや首を斜めに傾けながら、我々に視線を向けています。背景には明るい黄土色を主体として樹木や植木鉢、花を咲かせた植物などが配されています。
やや斜めに構えたセザンヌ夫人と呼応するように背景も傾斜しており、背景の傾斜の直線上に3点の植物が絶妙な距離感で配されています。3点の植物それぞれに用いられる緑色や赤色、そして背景の黄土色、さらにセザンヌ夫人の身に着ける衣服の黒が、見事に調和しています。
セザンヌ夫人は無表情で表情から感情を読み取ることは出来ませんが、上記のような色使いから、日光の光のような暖かさが感じられます。セザンヌが彼女への愛に満ちていたことが伝わってくる作品です。
メトロポリタン美術館所蔵。
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座る道化師 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの青の時代(※1)の作品です。ピカソは20代で、様々な絵画のスタイルに挑戦し、その結果、彼独自の作品スタイルを確立させました。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は自殺した親友カルロスを失恋したピエロとして描いたものと言われています。
当時、道化師は、通常バトンやむちを持ち、黒いマスクをかぶっていました。しかし、ピカソは道化師を白い顔と襟を付けて描きました。そして妻を寝取られた道化師のように、どこか憂いを帯びています。
また一方で、本作はロートレックやゴーギャンなど数名の画家を連想させます。例えば、花柄の背景は、ゴッホの「揺り籠をゆする女」の背景から借用しています。
ピカソはこの時期に、他多くの画家の作品を吸収し、彼独自の世界に取り入れ、彼独自の作品スタイルを確立したのでした。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵。
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