ロンシャンの競馬場 エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの作品(1866年頃)です。本作は、競馬場にいる鑑賞者を、疾走する馬の前に配置するという画期的な作品で、マネの絶頂期の作品の一つです。
それでは具体的に観て行きましょう。
パリ郊外のブローニュの森で行われたレースの日を描いています。フランスの現代生活を描こうとしたマネにとって、ロンシャン競馬場はパリの新名所でした。
マネは、レース当日の賑やかな様子をパノラマで描こうとしました。従来はレース中の馬を横にして描くのが普通でしたが、マネは馬を描く角度を工夫して、鑑賞者をレースに引き込むように描きました。そして、右側のスタンドなど、シャープに描かれた要素と、馬の群れという印象派的なぼかしが組み合わされています。
またマネは、前景にあるものにより多くの絵の具を使い、背景や絵の中で重要でない部分にはより薄い絵の具を重ねる傾向がありました。これにより、絵の中の重要な部分に注意が向けられます。微妙な色使いや、絵の中の暗い部分と明るい部分のコントラストを強めることで、形や質量を表現しました。
アメリカのシカゴ美術研究所所蔵
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兵士に侮辱されるキリスト エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの作品(1865年頃)です。マネ最大の問題作「オランピア」と共に1865年のサロンへ出品された作品で、注目点は、各登場人物に注力した扱いと、その表現にあります。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は新約聖書に記される「キリストの嘲笑」を題材に制作された宗教画です。キリストは、とても人間的で弱く描かれ、もはや自分の運命を自分で決めることができません。キリストの視線は父なる神の住まう天上へと向けられていますが、キリストの周囲にはユダヤ人やローマ兵たちが配され、キリストに侮蔑の言葉や嘲笑を浴びせています。
本作の注目すべき点は、各登場人物に注力した扱いと、その表現にあります。
背景を黒一色で統一することで、登場人物以外の要素を除外し、観る者の視線を登場人物へと集中させています。キリストと3人のユダヤ人やローマ兵たちには宗教的な意識は殆ど見出すことができず、まるで当時マネが描いていた肖像画の人物像がそのまま描き込まれているかのような、ある種の近代的生々しさに溢れています。
また構図や構成を観察すると、ティツィアーノの同主題の作品や、ヴァン・ダイクの「茨の冠のキリスト」の影響が随所に感じられるものの、大胆に画布の上へ乗せられる絵の具や、力強さを感じさせる肉厚の筆触などに、マネの個性を感じることができます。
アメリカのシカゴ美術研究所所蔵
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テハマナの祖先 ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1893年)です。
モデルの女性はゴーギャンの現地妻のテハマナです。テハマナがゴーギャンの妻となった時、彼女は13歳だったと言われています。本作は月の女神ヒナやイースター島の字体などを一緒に描かれ、観る者に神秘性を感じさせる作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
絵の中のテハマナは教会へ礼拝しに行くときに着る、彼女の持つ服内で最高級の物を身に纏い、手には美しさのシンボルと称されている飾られた団扇を持っています。
右にある低いテーブルの上に置かれた2つの熟したマンゴーは、タヒチの豊穣を表しています。左上には月の女神ヒナが生命を与えるジェスチャーで描かれ、テハアマナの頭の後ろには、イースター島のロンゴロンゴの字体が描かれています。月の女神ヒナやイースター島の字体などが一緒に描かれ、観る者に神秘性を感じさせます。
下の碑文にはタヒチ語で「メラヒメトゥアノ|テハマナ」と書かれています。これは「テハアマナには多くの親がいる」という意味で、タヒチには里親と実の親との間で子供を共有する習慣がありました。更に、すべてのタヒチ人が古代の神ヒナとタアロアから派生したという逸話から「テハマナの祖先」というタイトルになりました。
アメリカのシカゴ美術研究所所蔵。
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マハナ・ノ・アトゥア(神の日) ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1894年)です。
本作はゴーギャンが第1次タヒチ滞在での制作活動で金銭的にも精神的にも行き詰まりを感じ、個展を開催しようと、一時的にフランスへ帰国した時期に描かれました。
それでは具体的に観て行きましょう。
前景に極めて装飾的に描かれる南国の強烈な陽光に光り輝く水辺が描かれ、その水際には三人の人物が配されています。
この三名には誕生(身体をこちらに向け横たわる者)から生(水辺で髪を梳かす者)、そして死(背中を向けて横たわる者)へと経過する人の一生の象徴化であると考えられており、ゴーギャンが抱いていた死生観や人生への不安を表しています。
そして生を謳歌する髪を梳かす女性の背後にはタヒチ文化を代表する神像である祭壇マラエに祭られる創造神タアロアが配されており、神への供物を運ぶ者などその周りを複数の女性らが囲んでいます。これらは、ゴーギャンの最高傑作となる「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」と繋がっています。更に前景の水辺は、サンテティスムの洗練を思わせる神秘的で奇抜な色彩で表現されています。
シカゴ美術研究所所蔵
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アルルの病院の庭にて ポール・ゴーギャン

フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの作品(1888年)です。
本作はゴーギャンがアルル滞在期に制作した絵画の代表作で、ゴーギャンが提唱した総合主義(※1)による様式的アプローチと日本趣味からの影響を感じさせる非遠近的表現が特徴的な作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
手前中央から左側には巨大な茂みが配され、その右側には赤々とした柵が描かれています。この茂みの陰影で目、鼻、髭が形成されていますが、それはゴーギャン自身を描いていると言われています。
その背後には紺色の衣服を着た2人のやや年齢の高い婦人がほぼ同じ姿態で描かれています。顔が明確に描かれている手前の婦人はカフェ・ド・ラ・ガールの主人の妻マリー・ジヌーです。そしてこの2人の夫人と呼応するかのように右側へは南仏特有の北風避けとして藁で覆われた糸杉の若木が2本描かれています。
本作で最も注目すべき点は、総合主義による様式的アプローチと、日本趣味からの影響を感じさせる非遠近的表現です。
茂み、柵、人物、糸杉、緩やかに曲がる小道、そして画面右上の池など構成要素のほぼ全てが明瞭な輪郭線と大胆な色彩を用いて平面的に描写されています。さらに遠近法を用いない複数の視点(近景と遠景では視点が大きく異なる)を導入することにより現実性が薄れ、ゴーギャンの心的風景が表現されています。
シカゴ美術研究所所蔵
※1:総合主義:1880年代末頃、ポール・ゴーギャン、エミール・ベルナール、シャルル・ラヴァル、ルイ・アンクタンらによって提唱された芸術運動。色彩を分割しようとする印象主義への反発として現れた、ポスト印象主義の一潮流で、2次元性を強調した平坦な色面などに特徴があります。
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オーヴェルの眺め ポール・セザンヌ

フランスのポスト印象派の画家、ポール・セザンヌ(1874年)の作品です。
一見すると無造作で雑然とした絵に見えますが、全てが一体となっている作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
オーヴェルの眺めは、ほぼ全方向に、等しく広がっており、高い地平線の下には明確な道も支配的な線もありません。家々、木々、畑などが果てしなく点在していますが、柔らかい緑の平原の中にある村に入るための道はありません。
青、赤、白の強いタッチは小さく散りばめられており、白の量は、しばしば隣接する淡い色と弱く対比され、全体を明るく、柔らかくしています。
パノラマの奥行きは、収束した線ではなく、重なり合った部分の後退により、どんどん小さくなっていきます。地平線の近くには強い緑が、中央の空間には鋭い赤があり、前景と遠景には同じ柔らかな色が現れます。
近い空間と遠い空間の一連の緑の違いは非常に洗練されています。色の強さ、隣り合う色調のコントラストの度合いは、前景と地平線の間のわずかな間隔で変化しています。
前景の青い屋根は弱めの赤と結合し、中間の明るい赤は弱めの青と緑と結合しています。右前景の青に対して黄色、中間距離の緑に対して赤、地平線の水色に対して緑です。このような配色の中で、私たちの視線は、前景と中景の相対的な混沌とした状態から遠景の明晰さへと誘導されます。
この開放的で分散した世界には、自由が感じられます。一見すると無造作で雑然とした絵に見えますが、全てが一体となっているのです。
シカゴ美術研究所所蔵
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リンゴの籠 ポール・セザンヌ

フランスのポスト印象派の画家、ポール・セザンヌの作品です。
本作はセザンヌの「絵は自然の再構成だ」という主張が、明確に表れた作品と言われます。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は四角い木製のテーブルの上に置かれたリンゴと籠、白布、ワイン瓶、そして皿に盛られたビスケットを描いた作品です。
しかし、目の前の物を見えるとおりに描くと、決してこんな絵にはなりません。
真ん中に立っている瓶は不自然に傾いていますし、皿の上のビスケットは今にも崩れそうです。テーブルの形も歪んでいます。向う側の縁のラインが右と左で異なっており、手前のラインも一致していないばかりか、側面部分は煩雑で、纏まっていません。そして、籠も明らかに傾き過ぎています。
しかし、これらは全て、画面中央の一個のリンゴの存在感を描くために仕組まれているのです。籠の不自然な傾きも、画面全体の空間的な曖昧性を消し、画面に安定感をもたらしています。
自然をそのまま描くのではなく、セザンヌの視点で、吟味、再構成された事が良く判る作品です。
シカゴ美術研究所所蔵。
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母と子 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソの新古典主義の時代の代表作です。
それでは具体的に観て行きましょう。
母と子は、アングルやルノワールの影響を受けて描かれた作品です。母の膝の上に子どもが座って、母に触ろうとしています。ギリシア風ガウンに身を包んだ母親は、膝の上の子どもをじっと見つめています。背景は砂場と海と空でシンプルに描かれています。
母と子に対するピカソの視点は感傷的なものではなく、この時代のピカソ自身の人生が反映されています。この作品を描いた1921年は、ピカソがロシアの踊り子であるオルガと結婚し、第一子が生まれた年です。本作からピカソの家庭的な平穏と安定が見て取れます。
シカゴ美術研究所所蔵。
※1:新古典主義の時代(1917年 – 1925年):ピカソはローマ旅行で古代ローマやルネサンスなどの様式に感銘を受け、自身の作品に古典様式を導入し始めるようになります。
この新古典主義の時代に、妻オルガと息子パウロをモデルに、どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻などの特徴がある絵画を数多く描きました。
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老いたギター弾き  パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
本作は、ギター弾きを題材に悲惨さとわずかな希望を表現した、ピカソの「青の時代」(※1)の作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
ボロボロの擦り切れた服を身につけ、やつれてうなだれた盲目の老人が、スペインのバルセロナの通りでギターの演奏を弾いている情景を描いています。
ギター弾きには、すでに生命力がほとんどなく、死が迫っているようなポージングは、状況の悲惨さを表しています。
一方で、手に持つ大きな茶色のギターは、青みがかった背景から最も離れたカラーで、観る者の視点を中央に引き寄せる効果を持つだけでなく、ギターはその絶望状況下で、唯一、生存するための小さな希望を象徴しています。
シカゴ美術研究所所蔵。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、プロシア青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材に作品を描いた時代。
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