ラオス旅行終了。

これでラオスの旅も終了です。
ラオスの川岸レストラン、良かったなぁ。ヴェンチャンの川岸レストランは夜景が最高。ルアンパバーンの川岸レストランでは、まったりしました。
帰りもハノイ経由で関空へ帰ります。
下の写真はハノイー関空の飛行機の機内食です。

ヴェンチャンのワット・シームアン。

伝説の女性「シー」が眠るお寺。
1563年、寺院を建立するとき、シーという妊婦が人身御供のために自ら支柱の穴に飛び込んで、それ以来守り神になったという伝説。 ヴェンチャンで参拝客が一番多いそうです。

ヴェンチャンのワット・ホーパケオ。

ラーンサーン王国のセーターティラート王が首都をルアンパバーンからヴェンチャンに遷都した際にエメラルド仏を祀るために1565年に建立した寺院。
1779年にシャム(現在のタイ)との戦いの時にエメラルド仏は持ち去られ、寺院も焼失してしまったそうです。現在の寺院は1936年にフランスによって再建されたものです。

ヴェンチャンのワット・シーサケット。

1551年にセーターティラート王によって建立されたヴェンチャン最古の寺院。
現在の建物は王国時代の1818年に建設されたもの。
大屋根が特徴のルアンパバーン様式と本堂を取り囲むように広縁風のベランダを持つヴェンチャン様式がミックスされています(左下)。
真ん中上の3層の建物はホータイ(経蔵)であり、重要な経典などが記された木簡などが保管されています。
度重なる戦いによって、眼球として嵌めこまれていた宝石や頭部の装飾用の金細工などは、持ち去られていまっています(真ん中下)。

ヴェンチャンのワット・ダム 他。

■タートダム(左)
「黒い仏塔」という意味だそうです。その名のとおりの外観をした仏塔です。
塔の下の祠には、ラオスの守り神である龍(ナーガ)が住んでいて、ラオスが危機に陥った時は助けに出てくると信じられています。
■ラオス国立博物館(右上)
ラオス国立博物館は「ラオスの古代~現代」まで網羅した博物館だそうですが、残念ながら閉まってました。
■右下
街角で見つけました。タイと同じで象は神の化身の様です。

ヴェンチャンのバトゥーサイ。

1962年、内戦の終結とパテート・ラーオの勝利を記念して建築が始まりました。
ラーンサーン通りをパリのシャンゼリゼ通りに見立て、パリのエトワール凱旋門を参考に建設を行ったと言われています。
資金難により工事が途中で凍結され、現在でも未完成のままだそうです。

ブッタパーク。

翌日、朝一でブッタパークへ行きました。ヴェンチャン市内のバスターミナルからバス(左上)で1時間の所にあります。この公園は1958年バンリューア・スリラットによって作られました。彼はヒンドゥー教と仏教を統合した聖職者シャーマンだったそうです。1975年の革命後、パット・ラオスの支配に不安を抱くバンリューア・スリラットは、ラオスからタイに逃げて、ノン・カイでもう一つの彫刻公園、サラ・カオクを建てました。
両公園はタイ・ラオス国境(メコン川)のすぐ隣に位置し、数キロメートル離れており、メコン川のタイ側からも見ることができるそうです。
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