花とジャクリーヌ パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの晩年(73歳)の作品です。
ピカソがジャクリーヌ・ロックと出会ったのは1953年。ジャクリーヌ27歳、ピカソ72歳の時です。ピカソはジャクリーヌへ毎日一輪ずつバラを贈ったと言われます。
そして、出会った一年後にピカソはこの作品を描きます。長い首とアーモンド型の瞳を持つしゃがんだジャクリーヌは、とても神秘的です。
後に二人は結婚しました。
パリのピカソ美術館所蔵。
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黒い椅子の裸体像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのキュビスム表現主義時代(※1)の作品です。
アンリ・マティスの影響が色濃くある作品と言われます。ピカソは、「マティスの官能的な曲線と、喜びを表現するためのピンクの肌を強調するためにマティスの黒を借りた」と話しています。
それでは具体的に観て行きましょう。
伸び縮みする繭のような体躯は、のびのびと成長している植物のようなふくよかな広がりを見せ、彼女の胸から伸びる里芋の蔓は、まるで彼女が植物王国の女神であるかのようです。
女性の身体を肥沃な土地、若芽の生えた種子、熟れた果物や青々と茂った樹木等の暗喩として用いられている作品です。
オハイオ州のウェクスナー芸術センター所蔵
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム作品を多く残した時代
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青い裸体像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの青の時代(※1)の代表作の一つです。
ただ一色しか使用していないにもかかわらず、効果的にモデルの感情を表現することに成功している作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
モデルは我々に背を向けて座っており、後方から見下ろす形式で描かれています。背景は何も描かれておらず、傍観者を排除することで、モデルの孤独感を際立たせています。
ゴーギャンがタヒチで描いた幾つもの作品群に類似したスタイルをとっていますが、ゴーギャンが彩色豊かな遠景を好んだ一方で、ピカソは青一色の壮麗かつ異なった筆使いによる表現方法で遠景を表現しています。
ピカソはこの時期に深い失望状態であったにもかかわらず、彼はその感情をも利用し、作品として表現したのでした。
パリのピカソ美術館所蔵
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
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水浴 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの新古典主義時代(※1)の作品です。
サンドロ・ボッティチェリ作「ビーナスの誕生」やポール・セザンヌ作「大水浴図」など、海・浜辺が背景となる作品では、裸体の女性が描写されていました。
本作では、西洋美術における長い伝統には捉われず、ピカソは自由に女性を描写しています。
それでは具体的に観て行きましょう。
太陽がさんさんと降り注ぐ浜辺にて、水着姿で遊ぶ女性たちが健康的で生き生きと描かれています。健康的に引き締まり、しなやかなで美しい体が、見事に表現されています。
当時、海水浴や日光浴を行うことは珍しく、ピカソの急進的な精神、精神的自由を反映しています。
パリのピカソ美術館所蔵
※1:新古典主義の時代(1917年 – 1925年):ルネサンスやバロックの名品に影響を受け、どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻などが特徴の作品を多く描いた時代。
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座る女(マリー・テレーズ) パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのシュルレアリスム時代(※1)の作品です。ピカソの愛人マリー・テレーズ・ウォルターを描いています。
それでは具体的に観て行きましょう。
マリー・テレーズは肘掛の椅子に座わっており、赤色と緑色を基調とした明るい色彩で描かれています。色彩論において赤色と緑色は対立する色と定義され、通常、両極性のある色彩を組み合わせると、作品は単調で平面的になります。
しかし、ピカソは、キュビズムの分析・解体と構築を用い、作品に空間的な奥行きを与えることに成功しています。作品の色彩とキュビズムの立体感により目の錯覚が生じ、背景となる部屋の2つの角が遠ざかって見え、立体的な空間に見えます。
また、マリー・テレーズの派手で明るい色彩のドレスには、白黒の横縞を入れることで色彩の調和をとっています。体のラインは上品な様相で表現され、色遣いとキュビズムの技法により作品は立体的に見え迫力があります。
パリのピカソ美術館所蔵
※1:シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年 – 1936年):シュルレアリスム(ジークムント・フロイトの精神分析とカール・マルクスの革命思想を思想的基盤とし、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指しました。)に興味を持ち、活動した時代
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三人の音楽家 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの総合的キュビスムの時代の作品です。
総合的キュビズムの時代の作品は、単調な色彩の分析的キュビズムの絵画から発展し、装飾的で色彩豊かになります。壁紙など既成の素材を画面に貼り付ける「パピエ・コレ」という技法が用いられています。
三人の音楽家には2つのバージョンがあり、より完成した作品がニューヨークの近代美術館にあります。
ニューヨークの近代美術館所蔵
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帽子と毛皮の襟をつけた女 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのシュルレアリスム時代(※1)の作品で、ピカソの愛人マリー・テレーズ・ウォルターを描いたものです。
それでは具体的に観て行きましょう。
マリー・テレーズの正面顔と横顔を融合し歪形させて描いています。正面顔と横顔が融合されている為に右向きにも左向きにも見え、両目は離れ、顎は尖っています。ピカソ独特の歪形させる技法により、マリー・テレーズをエロティズムの象徴としています。
マリー・テレーズの若さや魅力、自由な人間性が表現されている作品です。
バルセロナのカタルーニャ美術館所蔵
※1:シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年 – 1936年):シュルレアリスム(ジークムント・フロイトの精神分析とカール・マルクスの革命思想を思想的基盤とし、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指しました。)に興味を持ち、活動した時代
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三人の踊り子(ダンス) パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのシュルレアリスム時代(※1)の作品です。
踊りは、恋愛、男女、死を連想させると解釈されています。真ん中の踊り子は、ピカソの友人であり、ガロガロの恋人であるカルロス・カサヘマスです。
カサヘマスは傷心のあまりガロガロを銃殺し、その後、銃で自殺しました。ピカソは、この出来事を元に三角関係の恐ろしさを表現した作品を描いたのでした。
ロンドンのテート・ギャラリー所蔵
※1:シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年 – 1936年):シュルレアリスム(ジークムント・フロイトの精神分析とカール・マルクスの革命思想を思想的基盤とし、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指しました。)に興味を持ち、活動した時代。
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ラス・メニーナス パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのキュビスム表現主義の時代(※1)の作品です。
本作は世界三大絵画のひとつと言われる、ベラスケスのラス・メニーナスを題材にして作成した、全58点の内の1点です。
因みに、世界三大絵画は、ラス・メニーナス、夜警、モナ・リザ、オルガス伯の埋葬の4点の内、3点を選んで世界三大絵画と言われることが多いです。
そして、夜警、モナ・リザ、オルガス伯の埋葬は、人により世界三大絵画から外されることがありますが、ラス・メニーナスは常に入っています。
そのベラスケスのラス・メニーナスの作品が下記です。
<ディエーゴ・ベラスケスのラス・メニーナス>

一方、ピカソのラス・メニーナスは、ベラスケスのラス・メニーナスに比べ、白黒のみの色使いで構成され、色彩の明暗にて光度を表現しています。
ピカソは「ベラスケスの作品を忘れて、人物の位置、光の表現方法を変えながら独自の画風で描く。そうすることで、自分自身の作品になる。」と話したと言われます。
バルセロナのピカソ美術館所蔵
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム作品を多く残した時代
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