黒いマンティーラを掛けたフェルナンド パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの青の時代(※1)と薔薇色の時代(※2)の中間にあたる作品です。
ピカソの画風を薔薇色の時代へと導いた、恋人のフェルナンド・オリヴィエが描かれています。
それでは具体的に観て行きましょう。
フェルナンドは、スペインを象徴するマントを身に付けています。表情は肖像画の様式的であり、控えめに抑えた色調にて抽象的に描写されています。スペイン彫刻の影響を受けた自然主義的な表現ですが、薔薇色の時代の特徴である抽象的でロマンチックな作風をうかがわせます。
この作品は、19世紀後半から20世紀のフランス絵画にて描かれた労働者をイメージしていると言われます。ピカソは薔薇色の時代に苦境や窮状を主題として、労働者や物乞いなど貧困層に限定した、数多くの作品を制作しています。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
※2:薔薇色の時代(英語版)(1904年 – 1906年):フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた時代。
ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館所蔵。
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肘掛け椅子に座るオルガの肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの新古典主義時代(※1)の作品です。
古典的で写実的な手法で最初の妻、オルガ・コクルヴァを描いています。オルガは、ピカソのモデルとなる際、自身が認識できない作風を好まなかったと言われます。
それでは具体的に観て行きましょう。
大理石のように白く、人形のような顔をしたオルガは、物憂げに我々を見つめています。美しく色彩豊かな椅子の背と半開きの扇子が、彼女の纏められた黒髪とドレスの暗い印象を和らげています。オルガの周りを縁取る青い影が、この絵が未完成であるかのような印象を与えています。
※1:新古典主義の時代(1917年 – 1925年):ルネサンスやバロックの名品に影響を受け、どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻などが特徴の作品を多く描いた時代。
パリのピカソ美術館所蔵。
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花とジャクリーヌ パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの晩年(73歳)の作品です。
ピカソがジャクリーヌ・ロックと出会ったのは1953年。ジャクリーヌ27歳、ピカソ72歳の時です。ピカソはジャクリーヌへ毎日一輪ずつバラを贈ったと言われます。
そして、出会った一年後にピカソはこの作品を描きます。長い首とアーモンド型の瞳を持つしゃがんだジャクリーヌは、とても神秘的です。
後に二人は結婚しました。
パリのピカソ美術館所蔵。
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黒い椅子の裸体像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのキュビスム表現主義時代(※1)の作品です。
アンリ・マティスの影響が色濃くある作品と言われます。ピカソは、「マティスの官能的な曲線と、喜びを表現するためのピンクの肌を強調するためにマティスの黒を借りた」と話しています。
それでは具体的に観て行きましょう。
伸び縮みする繭のような体躯は、のびのびと成長している植物のようなふくよかな広がりを見せ、彼女の胸から伸びる里芋の蔓は、まるで彼女が植物王国の女神であるかのようです。
女性の身体を肥沃な土地、若芽の生えた種子、熟れた果物や青々と茂った樹木等の暗喩として用いられている作品です。
オハイオ州のウェクスナー芸術センター所蔵
※1:キュビスム表現主義の時代(1937年 – 1973年):ピカソがキュビスム作品を多く残した時代
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青い裸体像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの青の時代(※1)の代表作の一つです。
ただ一色しか使用していないにもかかわらず、効果的にモデルの感情を表現することに成功している作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
モデルは我々に背を向けて座っており、後方から見下ろす形式で描かれています。背景は何も描かれておらず、傍観者を排除することで、モデルの孤独感を際立たせています。
ゴーギャンがタヒチで描いた幾つもの作品群に類似したスタイルをとっていますが、ゴーギャンが彩色豊かな遠景を好んだ一方で、ピカソは青一色の壮麗かつ異なった筆使いによる表現方法で遠景を表現しています。
ピカソはこの時期に深い失望状態であったにもかかわらず、彼はその感情をも利用し、作品として表現したのでした。
パリのピカソ美術館所蔵
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
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水浴 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの新古典主義時代(※1)の作品です。
サンドロ・ボッティチェリ作「ビーナスの誕生」やポール・セザンヌ作「大水浴図」など、海・浜辺が背景となる作品では、裸体の女性が描写されていました。
本作では、西洋美術における長い伝統には捉われず、ピカソは自由に女性を描写しています。
それでは具体的に観て行きましょう。
太陽がさんさんと降り注ぐ浜辺にて、水着姿で遊ぶ女性たちが健康的で生き生きと描かれています。健康的に引き締まり、しなやかなで美しい体が、見事に表現されています。
当時、海水浴や日光浴を行うことは珍しく、ピカソの急進的な精神、精神的自由を反映しています。
パリのピカソ美術館所蔵
※1:新古典主義の時代(1917年 – 1925年):ルネサンスやバロックの名品に影響を受け、どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻などが特徴の作品を多く描いた時代。
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座る女(マリー・テレーズ) パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのシュルレアリスム時代(※1)の作品です。ピカソの愛人マリー・テレーズ・ウォルターを描いています。
それでは具体的に観て行きましょう。
マリー・テレーズは肘掛の椅子に座わっており、赤色と緑色を基調とした明るい色彩で描かれています。色彩論において赤色と緑色は対立する色と定義され、通常、両極性のある色彩を組み合わせると、作品は単調で平面的になります。
しかし、ピカソは、キュビズムの分析・解体と構築を用い、作品に空間的な奥行きを与えることに成功しています。作品の色彩とキュビズムの立体感により目の錯覚が生じ、背景となる部屋の2つの角が遠ざかって見え、立体的な空間に見えます。
また、マリー・テレーズの派手で明るい色彩のドレスには、白黒の横縞を入れることで色彩の調和をとっています。体のラインは上品な様相で表現され、色遣いとキュビズムの技法により作品は立体的に見え迫力があります。
パリのピカソ美術館所蔵
※1:シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年 – 1936年):シュルレアリスム(ジークムント・フロイトの精神分析とカール・マルクスの革命思想を思想的基盤とし、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指しました。)に興味を持ち、活動した時代
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三人の音楽家 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの総合的キュビスムの時代の作品です。
総合的キュビズムの時代の作品は、単調な色彩の分析的キュビズムの絵画から発展し、装飾的で色彩豊かになります。壁紙など既成の素材を画面に貼り付ける「パピエ・コレ」という技法が用いられています。
三人の音楽家には2つのバージョンがあり、より完成した作品がニューヨークの近代美術館にあります。
ニューヨークの近代美術館所蔵
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帽子と毛皮の襟をつけた女 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソのシュルレアリスム時代(※1)の作品で、ピカソの愛人マリー・テレーズ・ウォルターを描いたものです。
それでは具体的に観て行きましょう。
マリー・テレーズの正面顔と横顔を融合し歪形させて描いています。正面顔と横顔が融合されている為に右向きにも左向きにも見え、両目は離れ、顎は尖っています。ピカソ独特の歪形させる技法により、マリー・テレーズをエロティズムの象徴としています。
マリー・テレーズの若さや魅力、自由な人間性が表現されている作品です。
バルセロナのカタルーニャ美術館所蔵
※1:シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年 – 1936年):シュルレアリスム(ジークムント・フロイトの精神分析とカール・マルクスの革命思想を思想的基盤とし、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指しました。)に興味を持ち、活動した時代
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