画家の父の肖像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソが15歳の時の作品です。
ピカソの父、ホセ・ルイス・イ・ブラスコを描いた水彩画です。
父ホセはマラガの美術学校の教師、そして画家として働いていました。しかし、中流階級としての生活を望めるほど豊かではありませんでした。
若かりしピカソは、比較的豊かな親戚に、家族の生活を頼らざるをえない父の不甲斐なさを、恥ずかしく思っていたようです。
本作での父ホセの顔は優しく暖かである一方で、彼は何かにすっかり打ちのめされたかのように見えます。
色は青が基調となっていますが、ピカソの青青の時代(※1)の作品とは違う「暖かさと生活の苦しさ」が伝わってきます。
15歳にして、このような絵画を描いたピカソは、やはり天才です。
バルセロナのピカソ美術館所蔵。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
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道化師に扮したパウロ パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの新古典主義時代(※1)の作品です。
本作はピカソの長男パウロを描いた作品です。ピカソは長男を数多く描き、その巧みな構成力、色彩、空間采配で高い評価を受けていますが、本作はその中の代表作と言われます。
それでは具体的に観て行きましょう。
長男パウロが愛らしく描かれていますが、ピカソは故意に、キャンバスの大部分をスケッチの状態のままで残しています。広い色塗りされた背景にあえてほんの数本の線や筆遣いを残すことで調和を保っています。これは従来の考えを逆転させるテクニックで、作品が現実の模倣ではなく、それに何か付け加えたものであることを示しています。
「現実は絵画を支配しない、絵画芸術はそれ自体のルールと在り様があるのだ」と主張しているのです。
※1:新古典主義の時代(1917年 – 1925年):ルネサンスやバロックの名品に影響を受け、どっしりと量感のある、身体に比べて大きい手足、彫刻のような肉体、額から続く高い鼻などが特徴の作品を多く描いた時代。
パリのピカソ美術館所蔵。
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ムーラン・ド・ラ・ギャレット パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソが19歳の時の作品です。
ピカソが初めてパリ市民をモデルとして製作した絵画です。
それでは、具体的に観て行きましょう。
パリの小高い丘の上にある、観光名所としても名高い庶民的なダンスホールのムーラン・ド・ラ・ギャレットの風景を描いています。
人物の輪郭をぼやけて描写することにより、人々がダンスホール内を目まぐるしく動く様子を表現しています。作品を通して、ピカソが、デカダンス(19世紀末にフランスを中心としたヨーロッパに広まった虚無的・耽美的な文芸思潮)の影響を受け、魅了された様子が伝わってきます。
ダンスホールのムーラン・ド・ラ・ギャレットは、多くの画家に描かれていて、ロートレック、ルノワール、ゴッホも描いています。
ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館所蔵。
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自画像 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの薔薇色の時代(※1)の作品です。本作はピカソが原始美術に見られるような力強さを描こうとした実験的作品であると言われています。
それでは具体的に観て行きましょう。
この時、ピカソは25歳でしたが、固く筋肉質の肉体で、まるで20世紀の伝説的な陸上選手であるのかのように描いています。
ピカソの薔薇色の時代の作品には珍しく、色調を取り除いた作品です。最初は右手に筆を持っていましたが、完成版では取り除かれました。
ピカソは色調や筆や画家を示す物等が描かない事によって、原始美術に見られるような力強さを描こうとしたのでした。
※1:薔薇色の時代(1904年 – 1906年):フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた時代。
フィラデルフィア美術館所蔵。
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シュミーズ姿の少女 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの作品です。
ピカソの青青の時代(※1)から薔薇色の時代(※2)への過渡期の作品と言われ、作品上にも青の色調の表面に上塗りされたピンク色が混じっています。
また、薄い青は、女性から冷淡さを取り除き、官能性を感じさせます。これは青の時代の作品が性的な情熱を描くものではなかったことからすると、大きな変化で、ピカソの薔薇の時代の幕開けを予感させます。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
※2:薔薇色の時代(1904年 – 1906年):フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた時代。
ロンドンのテート・ブリテン所蔵。
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オルタ・デ・エブロの工場 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの分析的キュビスム時代の作品です。アフガニスタンの郵便切手になった事でも有名な作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作はピカソがスペインで休暇中に見た工場を描いたものです。
分析的キュビスム時代は、プロトキュビスムの時代から更に分析が進み、対象が徹底的に分解され、何が描かれているのか識別することが困難なところにまで進んでいきました。
サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館所蔵。
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バイオリンと葡萄 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの分析的キュビスム時代の作品です。分析的キュビスム時代は、プロトキュビスムの時代から更に分析が進み、対象が徹底的に分解され、何が描かれているのか識別することが困難なところにまで進んでいきました。
それでは具体的に観て行きましょう。
ピカソは画題に忠実に描くよりも、構成や創造することに興味があったといわれています。本作において、着目すべきは、色や構造、全ての特徴的なパーツ―弓、スクロール、弦、これらのパーツは全てバイオリンを構成しており、それぞれがバイオリンを連想させます。
しかしそれぞれのパーツは実際のバイオリンとは、異なった配置をしており、まるで一度ばらばらにされたバイオリンが、ピカソによって組み立てなおされたかのようです。明らかに実態とは異なるにもかかわらず、不思議と不快感や乱雑さは感じられません。
それはピカソが、パーツを再配置する際に全体として一つの芸術になることを意識しながら描いているからです。
ニューヨーク近代美術館所蔵。
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座る道化師 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの青の時代(※1)の作品です。ピカソは20代で、様々な絵画のスタイルに挑戦し、その結果、彼独自の作品スタイルを確立させました。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は自殺した親友カルロスを失恋したピエロとして描いたものと言われています。
当時、道化師は、通常バトンやむちを持ち、黒いマスクをかぶっていました。しかし、ピカソは道化師を白い顔と襟を付けて描きました。そして妻を寝取られた道化師のように、どこか憂いを帯びています。
また一方で、本作はロートレックやゴーギャンなど数名の画家を連想させます。例えば、花柄の背景は、ゴッホの「揺り籠をゆする女」の背景から借用しています。
ピカソはこの時期に、他多くの画家の作品を吸収し、彼独自の世界に取り入れ、彼独自の作品スタイルを確立したのでした。
※1:青の時代(1901年 – 1904年):ピカソが19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料の青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品を多く描いた時代。
ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵。
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馬を引く少年 パブロ・ピカソ

19世紀スペインのキュビスムの創始者、パブロ・ピカソの薔薇色時代の代表作です。
1904年、ピカソは新たな画題と暖色を用いたパレットで、新たな試みを始めます。いわゆる「薔薇色の時代」の始まりです。
それでは具体的に観て行きましょう。
少年が馬を引く姿を描いています。少年は、か細い馬を手綱無しで従わせています。細かな描写は省き、また茶色と灰色が変化する色合いから、ピカソが新たな試みを始めたことが伺えます。
しかし、新しい試みを始めた薔薇色の時代は、ほんの数年間で、その後ピカソはキュビスムの探究を始めます。
※1:薔薇色の時代(1904年 – 1906年):フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた時代。
ニューヨーク近代美術館所蔵。
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