皇帝マクシミリアンの処刑 エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの歴史画の代表作(1869年頃)です。
それでは、どんな歴史画なのでしょう。
本作はメキシコ皇帝マキシミリアンが処刑される瞬間を描いています。
メキシコに債権を有していたフランスが、メキシコ政府の負債棚上げに激怒し、メキシコ本土に出兵して首都メキシコシティを占領。1864年4月10日、オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世の弟であるマキシミリアンを「メキシコ皇帝」に即位させました。
その直後、アメリカではリンカーンによって南北戦争が終結し、アメリカは目の上のたんこぶを取ろうとフランスに圧をかけ始めます。風向きが変わり、不利な状況となったフランス・ナポレオン三世は財政の悪化もありメキシコから兵を引き上げました。このことで、メキシコ大統領ベニート・フアレスらが巻き返し、結局、マキシミリアンは逮捕され、1869年6月19日に側近の将軍2名とともに銃殺刑に処せられました。
本作はマネの反骨精神がうかがえる作品と言われます。それは、銃殺刑の執行者たちはフアレスの正規軍の制服ではなく、フランス軍の制服に類似している点です。
マキシミリアンがナポレオン3世の身勝手な野心の犠牲になったことにマネはひどく激怒し、フランス軍による処刑と描くことで「マキシミリアンを殺したのはフランスだ」ということを強調したのでした。
ドイツのマンハイム市立美術館所蔵
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黒い帽子のベルト・モリゾ エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの作品(1872年頃)で、女流画家として有名なベルト・モリゾの肖像が描かれています。この作品完成後、ベルト・モリゾは、エドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネと結婚しました。
それでは具体的に観て行きましょう。
ベルト・モリゾが軽く笑みを浮かべているのが印象的です。ベルト・モリゾの衣服と帽子の黒色は画面の中で圧倒的な存在感を示していますが、この黒色と背景に用いられた灰色が画面の大部分を占めることによって、ベルト・モリゾの顔や頭髪に用いられた明瞭な茶色や肌色、すみれのブーケの控えめな青色が、より洗練された印象を観る者に与えます。
マネ独特の大ぶりな筆触や平面的な画面展開、抑えられた落ち着きのある色彩などが特徴の作品です。
オルセー美術館所蔵
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兵士に侮辱されるキリスト エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの作品(1865年頃)です。マネ最大の問題作「オランピア」と共に1865年のサロンへ出品された作品で、注目点は、各登場人物に注力した扱いと、その表現にあります。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は新約聖書に記される「キリストの嘲笑」を題材に制作された宗教画です。キリストは、とても人間的で弱く描かれ、もはや自分の運命を自分で決めることができません。キリストの視線は父なる神の住まう天上へと向けられていますが、キリストの周囲にはユダヤ人やローマ兵たちが配され、キリストに侮蔑の言葉や嘲笑を浴びせています。
本作の注目すべき点は、各登場人物に注力した扱いと、その表現にあります。
背景を黒一色で統一することで、登場人物以外の要素を除外し、観る者の視線を登場人物へと集中させています。キリストと3人のユダヤ人やローマ兵たちには宗教的な意識は殆ど見出すことができず、まるで当時マネが描いていた肖像画の人物像がそのまま描き込まれているかのような、ある種の近代的生々しさに溢れています。
また構図や構成を観察すると、ティツィアーノの同主題の作品や、ヴァン・ダイクの「茨の冠のキリスト」の影響が随所に感じられるものの、大胆に画布の上へ乗せられる絵の具や、力強さを感じさせる肉厚の筆触などに、マネの個性を感じることができます。
アメリカのシカゴ美術研究所所蔵
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キアサージ号とアラバマ号の海戦 エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの作品(1864年頃)です。
本作は1872年のサロンで入選した作品で、当時の著名な小説家兼批評家ジュール・バルベイ・ドールヴィリは、「単純で力強い自然と風景の感覚によって表現された、このキアサージ号とアラバマ号の海戦の絵画に私は感情の高揚を覚えた。あのマネがこのような作品も描けるとは。構想、表現、どれも素晴らしい。」と賞賛したと言われています。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は米国・南北戦争時にフランス沿岸でおきた海戦を題材に描いたものです。マネは本場面を実際には目撃しておらず、ブーローニュ港に停泊していた時に予め描いていたキアサージ号のデッサンと当時の新聞に掲載された写真を用いて制作されたと言われます。
正方形よりやや縦長の画面に描かれるシェルブール沖の海上を高まる波で荒々しく描き出すことによって、砲撃され撃沈される巡洋艦アラバマ号の迫力をより一層効果的に見せています。また実際に本海戦を見るため、多数の民衆らが船で海上へ押し寄せていたことも逃さす描写されています。
アメリカのフィラデルフィア美術館所蔵
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テュイルリー公園の音楽祭 エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの初期作品(1862年頃)です。本作はパリのテュイルリー公園で開催されたコンサートに集まる人々を描いたもので、マネの写実主義(※1)的な思想による絵画表現がより明確に示されている作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は、「現代社会の英雄性」を描くべきだとする友人シャルル・ボードレールの主張から着想を得たと考えられる作品で、マネ自身はもとより、家族、友人、知人、同輩などを始めとした、当時のブルジョワ層の人々が描かれています。左端にはマネ本人の半身が傍観者のように描かれ、その隣にはマネの友人で画家であったバルロワ卿アルヴェールがステッキを持った姿で描かれています。さらに隣には評論家ザカリー・アストリュクが椅子に腰掛ける姿が描かれています。前景の二人の青帽子の女性は、軍事司令官の妻ルジョーヌ夫人と作曲家オッフェンバックの妻ジャック・オッフェンバック夫人で、その背後にはアンリ・ファンタン=ラトゥールやボードレールを始めとした写実主義者の一行が見えます。また画面中央やや右寄にマネの弟ウジェーヌの姿を配し、その隣には眼鏡をかけた口髭の作曲家オッフェンバックが、そして帽子を上げ挨拶する画家シャルル・モンギノの姿が描かれています。
群集肖像画とも呼べる本作は、1863年、マルティネ画廊での個展で、展示されましたが、下絵のような荒々しいタッチが不評を招き、「縁日の音楽が耳を傷つけるように、目を傷つける」作品であると批判されたのでした。一方、フレデリック・バジール、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールといった若い画家たちは、人々のありのままの姿を描いた事に新しさを見出し、後の印象派の一つの起源となりました。
そして、マネの写実主義への転換期における重要な作品のひとつと位置付けられています。
※1:写実主義:実の自然や人間の生活を客観的に描写しようとする様式。
ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵
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老音楽師 エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの初期作品(1862年頃)です。本作はマネの時代を見つめる鋭い観察眼を基に、確信犯的かつ野心的な写実主義(※1)の作品です。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作は当時再開発が進んでいたパリ市内サン=ラザール駅裏手にあった取り壊し後の貧民街の殺風景な風景の中に、そこへと集まる老音楽師や浮浪者、大道芸人、屑拾いなどを描いた集団人物図版的風俗画です。流しのヴァイオリン弾き(老音楽師)を中心に、赤ん坊を抱くジプシーの少女、街の少年たち、浮浪者風の男、ユダヤ人の老人を描いています。
老音楽師の演奏を聴くために人々が集まっている場面ですが、登場人物間の心理的な交流も見られず、各人物の視線はばらばらで、孤立しています登場人物各々が独立して描かれる画面の中に、当時のパリの近代性や社会的変化、そしてそれがより進むであろう未来的予測を表現した写実主義的作品です。
※1:写実主義:実の自然や人間の生活を客観的に描写しようとする様式。
ワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵
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アプサントを飲む男 エドゥアール・マネ

印象派の創設に影響を与え近代美術の父とも呼ばれる、フランス画家エドゥアール・マネの初期の代表作(1859年頃)です。
マネは1850年からトーマス・クチュールのスタジオの学生になりましたが、時間が経つにつれて彼はクチュールのサロンスタイルを嫌うようになり、その後1856年に自分のスタジオを設立しました。本作の写実主義(※1)的描写は、マネが学んでいたクチュールとの決別の表れでもありました。
それでは具体的に観て行きましょう。
本作に描かれているのは、ニガヨモギの根から抽出する「アプサント」と呼ばれた安価で毒性の強い緑色の蒸留酒の水割りを飲む路上生活者です。この路上生活者はマネの近所に居たコラルデという男をモデルにして描かれており、社会的、文学的な主題への関心を示した、最も初期の自然主義的作品としても重要視されています。
この頃、パリではアプサントを始めとする度の強い酒による重篤なアルコール依存症が社会問題化しており、1900年代初頭にはアプサントの飲酒は禁止されることになります。
本作に描かれるアプサントのほか、地面に転がる酒瓶、男の纏う古着の黒衣などは、マネが学んでいたトーマス・クチュールとの決別である共に、社会性や文学性を帯びた絵画への挑戦でもありました。
※1:写実主義:実の自然や人間の生活を客観的に描写しようとする様式。
デンマークのニュー・カールベルク美術館(コペンハーゲン)所蔵
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十字架像 ミケランジェロ・ブオナローティ

盛期ルネサンスの三大巨匠の一人、 ミケランジェロ・ブオナローティの作品(1492年頃)です。本作はミケランジェロの初期作品の傑作のひとつです。
ミケランジェロ17歳の時、修道院の病院から送られてくる死体の解剖学的研究を許され、その代わりに本作を彫刻し、主祭壇の上に飾りました。
その後、18世紀末のフランス占領下に修道院の鎮圧に伴い、紛失したものと考えられていましたが、別の場所に保管されているのが発見されました。
現在、本作は教会の西側通路から行ける八角形の聖具室に置かれています。
フィレンツェのサント・スピリト聖堂所蔵
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ピア門 ミケランジェロ・ブオナローティ

盛期ルネサンスの三大巨匠の一人、 ミケランジェロ・ブオナローティの作品(1565年頃)です。本作はミケランジェロ最後の建築作品です(ミケランジェロはピア門の完成間近で死去)。2つのアーチの間にある建物はかつては税関でしたが、現在はベルサリエーリの歴史博物館となっています。
またピア門は1561年に鋳造された記念硬貨にも描かれています。
ピア門は、ローマのピア通りの終点にあります。
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